危機管理業務部 防災課長
 岩崎 健次

 東日本大震災の課題・教訓の一つとして、「想定外の」想定が提起されました。
 今回の震災は、千年に一度という「海溝型地震」に伴う津波が「十分準備したと考えた防潮堤」を遙かに超えたことや、被災地の自治体や海岸周辺の住民が「十分であると考えた防災計画や防災訓練」を無効にした、まさに想定できなかった災害であったという見方です。
 一方、東京電力の社長も、3月13日夜の地震発生後の記者会見で、福島第一原子力発電所の炉心溶融などを引き起こす契機となった理由を、「想定の倍の津波が非常用設備を浸水させたこと」と言及しました。
 しかし、事故調査委員会の報告を聞くまでもなく、原発事故の場合は、「事故を防止するべき対象」が明確であり、炉心溶融に至るまでに「多くの技術的・人為的な対応措置」の選択肢があったことから、この社長の弁が東京電力の責任逃れの方便と見られても致し方ないと思います。
 ただ、このような「想定内」「想定外」の議論を大災害の“専売特許”であるかのような議論だけで危機管理上の問題が解決されるでしょうか?
 視点を換え、個人・組織が、日常的に・より身近に「想定外」の事案に遭遇し、大事故にならない場合も含めた「リスクマネジメント」を考察してみることも必要であると考えます。

 まず、私が実際に体験した出来事を「個人の事案」としてご紹介します。
 先日、私が住んでいる地域の近くで花火大会があったので、自転車で出かけました。荒川の堤防沿いの見学場所には十数万人の人出があったとのことでした。警察や警備員の人たちは、見学場所や駅周辺、道路など、あらゆるアクセス場所で誘導や車両・自転車の統制などを行った結果、多くの人たちは快適に夜空の花火を観賞することができたことだろうと思います。
花火
 しかし、私自身にとっては、その帰り道に予想外のことが待っていました。自転車で人混みを抜けてホッとした瞬間、自転車が溝の凹凸にはまり、自転車のライトが分解・脱落し、タイヤもパンクしてしまいました。暗闇の中、狭い車道を歩いて約2時間、自転車を押して帰らざるをえなくなったのです。
 この事案をリスクマネジメントとして見れば、ライトの脱落やタイヤのパンクをリスクとして見積もっていなかった私の「想定外」でもありました。ただ、道路上で車からの危険を避けるため、白いタオルを背中に巻いてドライバーから見やすくなるようにはしていました。
 また、「組織の事案」としては、最近の事案ですが、関西電力の大飯原発の再稼働にあたって、取水口付近に水クラゲが大量発生して電気出力が低下したという発表がありましたが、このような事案も当初から全く考えていなかったことだったと思います。

 このように、日常によく生起するリスクは、自然の中、生活の中、設備・製造物の中などあらゆる状況の中に内在しており、これを「想定内」として100%事前に見積もっておくことは困難です。しかしながら、事前にこれを発見し、準備しておくという「絶え間ぬ努力」も必要です。
 以上のことから、リスク社会にあって日常的にこのようなリスクを認めたうえで、以下のような「リスクへの対応の心構え(生き残りの心構え)」が求められます

/箸亮りのリスクは、通常、外部要因(自然)、内部要因(設備・製品・組織・システムの欠陥)、人
 的な要因(意図する行為)等が複合化して内在していることから、
 ●身の周りの情報や環境について、常に多重に安全(生き残り手段の多様化)を保つと同時に、行動を
  正常に保つことを心がける(指導する)

 ●自ら判断する「もしや」という危機への懸念を持つ

  (例1)東日本大震災においても、住民生活のレベルにおいては、地震後の停電時、TVの修理や家
     具等の整理に関心が集中し、ラジオを使った情報収集ができず、津波から逃げ遅れたケースが
     多かったと言われていいます。
  (例2)最近、児童や生徒の間で発生している「考えられない」事故も、天候や遊具、遊び方などが
     複合化している場合が多いです。
      例えば2008年には、ある学校の生徒が屋上で悪ふざけをして校舎の天窓に乗った結果、
     これが破れて落下するという事故が発生しています。

交通事故などのように「逃れられない場合の多い事態」には、事故発生防止の努力以上に、災害拡大防
 止のための事故対応措置の準備をする

 (例1)先日の関越自動車道・上り線で6人が死傷した追突事故においては、追突されたトラックはハ
    ザードランプを点滅させていましたが、表示板や発炎筒の対応を行なかったことが事故拡大の大
    きな原因となりました。
 (例2)前述の花火大会の事案で、私がタオルを背中に巻いていたことも、二次災害防止のための対応
    の一つです。