危機管理業務部 研究員
 齋藤 芳

 平成26年は、弊社に入社前に陸上自衛官として日本から12,000km離れた東アフリカのモザンビーク共和国に国連平和維持活動PKO:Peace Keeping Operations)の輸送調整要員(Movement control)として派遣され、帰国してから20年という節目の年になります。
 PKOといえば、国は今や当たり前のように行っているため、あまりマスコミにとりあげられることはなくなりましたが、当時、一部の派遣反対派の人達は、まるで自衛隊が戦争にでも行くような騒ぎようでした(ただ、誤解してほしくないのは、自衛官ほどの戦争反対者はいません。なぜなら、真っ先に戦地に派遣されるのですから)。
 平成25年12月、南スーダンPKOで韓国軍工兵隊が自衛隊に弾丸を借りたといって韓国では大騒ぎになったようですが、基本的に一部の外国軍隊を除き非武装が基本ですから、現地における危機管理は(相手は武器を持っているため)本当に大変でした。
 派遣後の最初の仕事は、ヘリコプターの墜落で死亡した某国軍人の国連葬への参列でした。派遣された7か月間で、この葬儀と現地人に銃で撃たれて死亡した某国軍人の2回の葬儀に参列した苦い思い出があります。

07_インド兵葬儀
 旅行やお仕事等で海外に行かれる皆さんは、(世界的に見れば平和国家と言える)日本とは事情が全く違う国もあるという大前提を十分認識し、以下のことに留意する必要があります。

海外では何が起こるか分からない(国によっては武器が溢れている)。
病 気(風土病など)
交通事故(整備不良車や交通規則が日本国内とは違う。)
宗教観の違い(イスラム圏、キリスト教圏、仏教圏など)
治安状態(犯罪行為、治安の悪化)
言 語(1992年、米国における日本人留学生の射殺事件は、「Freeze(動くな)という言葉を、
 「Please(どうぞ)」と聞き間違えたと言われている。)

 それでは、20年を振り返って、今も共通するであろう「海外における危機管理」の一端をシリーズでご紹介します。
 第1回目の今回は、「武器にまつわる話」です。

 1995年11月22日早朝、自衛隊の某駐屯地からバスで成田空港に向かい、英国航空で日本を発ち、英国のヒースロー空港、ポルトガルのリスボン空港でのトランジットの後、36時間ぶりに、晴れ渡る東アフリカのモザンビーク共和国の首都マプート空港に到着しました。
 気温45度の中、「1$くれ!」と近づいて来る子供の群れをしり目に、待機していた同じくPKOの輸送部門担当のインド軍のTATA社製の輸送バス(窓に金網を張った日本の警察バスと同じ形式)に乗り込み、市内のホテルに向かいました(業務交代後はテント生活)。

07_CAMP MATOLA
 空港の敷地を出て10分も経たないうちに、瓦礫の散乱する市内のあちこちから、拳を振り上げ、何か叫んでいる現地人のデモ群衆に遭遇しました。近づいてきたデモ群衆が投げる石や煉瓦がバスに当たり、ガンガンと音を立て始めました。小学生の頃、映像でしか見たことがなかった、機動隊に投石する日本の学生運動を彷彿させ、これまで経験したことのない事態にいきなり遭遇したことで、「凄い所に来てしまった」と感じたのが正直なところです。
 このデモは、決して我々国連に向けられたものではなく、前日のバス運賃の値上げ(2倍に値上げ)に怒った群衆が、手当り次第に暴れまわり、商店の破壊・略奪、通行中の車両への投石や発砲行為に発展したというものだったようです(バスといっても、普通のトラックの荷台に人が立って乗るようなものであって、日本の路線バスとは全く違います)。

07_バス1
07_バス2
ただ、窓ガラスは金網に守られているから割れないものの、煉瓦や拳大の石が金網1枚を隔てて自分の顔に向かって飛んでくるのは、あまり気持ちのいいものではありません。
 バスがノロノロと群衆を避けながら走っていると、後方から猛スピードで近づいて来た現地の警察官が、いきなりAK47自動小銃(共産圏をはじめ世界中で使用されている口径7.62mmのロシアの軍用銃)を群衆に向け、水平射撃を始めました。数人がバタバタと倒れ、逃げ惑うデモ群衆の姿が今でも脳裏に焼き付いています。

 日本ではありえない光景にいきなり遭遇したことで、日本が如何に平和な国であるかを再認識させられたとともに、訓練で銃の取り扱いには慣れていると思っていたはずが、改めて武器(実弾)の恐ろしさを痛感した瞬間でした。

 ― 「その1・後編」に続く ―