危機管理業務部 研究員
 齋藤 芳

※「海外における危機管理について考える(その1・前編)」のつづき。
 「その1・前編」は、2014年5月19日付の記事を参照ください。



 人間、慣れというものは恐ろしいもので、毎日のように銃声や死体を見ていると「またか」という感覚が先行して、大して驚かなくなるものです。
 夜に用便(「トイレ」ではなく、藪の中に深さ3mの穴を掘って板を渡しただけの簡単なもの)に行った際も、赤く光る曳光弾(光りながら飛ぶ銃弾)が頭上に飛んで来ても、美しい流れ星を見ているような感覚しか覚えなくなりました。
 また、蚊帳を張ったテントの中で寝ているときに銃声がしても、遠くで撃っているか近くで撃っているかが聞き分けられるようになっていたため、気にもせずにそのまま寝てしまうこともありました。
 派遣されてひと月半あまり経った頃のことだと思いますが、ちょうど12月31日から1月1日になった瞬間、あちこちから銃声が鳴り響き、空一面に曳光弾が光り飛び交っていたそうです。これは、翌日に起きていた同僚から聞いた話で、当時の私はそんな危険な状況をも全く気にせず熟睡していました。いま思うと、本当に危険な状況であり、まさに自分自身の危機管理意識がいかに欠如していたのかと反省しきりです…。

 ある日、キャンプから仕事場の空港に向かう途中、シャイシャイ街道という道路の真ん中に葉の茂った木の枝が置いてあり、通行中の車が避けながら走っている光景を目にしました。車を停め、歩いて近づいてみると、頭から血を流して死んでいる人が横たわっていました。ちょうどこめかみの辺りを銃で撃たれたのか、穴が開いて鮮血が噴き出していました。朝一番にこのような光景を目の当たりにし、「自分も気を付けねば」と思いましたが、昼間になって気温が50度以上にもなると、暑さのあまりその死体のことなどつい忘れてしまいます。

08_シャイシャイ街道の市場

 不思議なことに、昼間に銃声を聴いた覚えがありません。ただ、つい数年前まで内戦状態だったことを示す痕跡としては、対戦車砲で撃たれ、壊れて錆びた状態で道路に放置されたままの戦車、建物に残った銃撃の跡、我々が駐屯していたキャンプの横のブッシュ(低木の茂った地域)に埋まっていると言われる地雷の話(現地の人や同じ駐屯地に駐屯していたポルトガル軍の軍人が話していた)、空港の壁に装飾品のように展示してある対戦車地雷(火薬は抜いてあり、信管も外されていた)、立ち入り禁止区域になっていた地域(我々が来る前、ウルグアイ軍の中尉が制止を聞かずに木の実を採りに入って足を吹き飛ばされたことがきっかけだそうです。)、南アフリカ、モザンビーク、スワジランドの国境を示す鉄条網の中の髑髏マークと「MINE(地雷)」と英語で書かれた看板などがありましたが、どれも日本ではまず目にすることのない光景でした。四方を海に囲まれ、陸続きの国境がない国に生きる者としては奇異(ある意味で新鮮)な光景に映ってしまい、髑髏の看板の前で記念撮影をしたこともあります。

08_戦車
08_政府軍ミサイル
08_地雷原

 海外に行くと、一部の国や地域では、まだ多くの地雷が埋設されているといいます。
 また、警察官が携行している以外にほとんど銃を目にしない日本は、(世界から見れば)銃社会ではない恵まれた国です。そんな、普段から銃に対して危機意識を持たなくてもいい国では、(当たり前ですが、)いつ銃弾が飛んでくるかを気にする必要もありません。現状、いまの日本で、そのような事を気にして生活している人は皆無でしょう。
 しかしながら、世界には、そんな危険と常に隣り合わせの国があることも事実です。もし貴方が海外(特に銃の溢れた地域)に行かれる場合は、日本のように安全で素晴らしい国ばかりではないということをくれぐれもお忘れなく。そして、「こちらが非武装であれば、相手は何もしてこない」という、日本のように安全な国で生きている者の感覚は、武器社会では全く通じません。常に武器に対する危機意識を持ちあわせるとともに、危険な所には決して近づかないことが一番の危機管理です。

 次回は、「病気にまつわる話」をご紹介します。