危機管理業務部 主任研究員
 友部 隆

【はじめに】
 東日本大震災から4年が経過し、5年目を迎える今、震災の記憶が薄れつつあり、いかにして後世に伝えていくかが問題となっています。
 このような状況の中、縁あって昨年度、内閣府の地震・津波防災訓練の近畿地方【和歌山県広川町】を担当することとなり、和歌山県広川町について知れば知るほどその伝承方法に納得・感心させられることが多かったので、この場でご紹介していきたいと思います。

【和歌山県広川町のご紹介】
 広川町は、和歌山県の中央部で、和歌山市から約40km、大阪市から約100km南の海岸に位置し、町の中央には広川が流れ、紀伊水道に注いでいます。
 町の人口は約7,600人、その2/3にあたる約5,000人が海岸沿いで生活しています。
 南海トラフの巨大地震が発生した場合、約30分で津波が到達し、最大9mの津波高となることが想定されているという土地柄です。

【知れば知るほど納得・感心させられた伝承方法とは…】
 あくまでも個人的な感想ですが、「津浪祭」、「児童園児津波避難訓練」、「稲むら火の館」、「濱口梧陵コース」、「個人的に納得した事項」の5点ですが、いずれにしても、防災に関心のある方であれば一度は訪れてほしいお勧め要素がいっぱいの地域です。
 今回は、「津浪祭」についてご紹介します。

【伝承方法 その1「津浪祭」】
 津浪祭とは、町内の平穏無事と過去の津波により犠牲になった人々のご冥福をお祈りするとともに、再びこのようなことが起こらぬようにと住民の生命・財産を津波から守るため、資材を投げ打って大堤防を築かれた、広川町の濱口梧陵さん達の偉業に感謝し、その遺徳を伝承するために行われている、平成27年で113回目を数える式典です。
 例年11月3日に実施していましたが、「津波防災の日」制定に伴って、平成24年以降、11月5日に実施されています。ちなみに、11月5日は、安政の地震が発生したまさに「稲むらの火」の日です。
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 津浪祭では、まず、地元の広小学校6年生と耐久中学校3年生により、濱口梧陵が築いた堤防の土盛りを行います。その後、広八幡神社宮司の進行により、祝詞奏上や玉串奉奠を実施し、感恩碑に対して献花、拝礼をするといった式典を行っております(※感恩碑は、昭和8年に建てられた石碑で、広村の歴史に触れながら、災害から広村を守り発展させてきた先人の遺徳を偲び、さらには濱口梧陵の偉業とその得を称えたもの)。
 納得・感心させられた点は、以下のとおりです。

‐学生・中学生も参加しての行事
 このような事を書くと広川町民の皆様にお叱りを受けるかもしれませんが、敢えて言わせていただくと、決して、威勢のいい、盛り上がるものではなく、ましてや学生受けするようなものではない、どちらかと言えば地味な祭りといった印象です。
 これを教育の一環として小学生、中学生代表が参加して堤防への土盛りを行っています。皆、寒い中ただ立っているだけなのですが、寒さとともに津波防災の意識の片鱗が体に刻み込まれているのではないかと私は思いました。その場では「立ちんぼの作業員」と思っている生徒が仮にいたとしても、後から振返って津浪祭の時期がくると、また、寒さを感じる季節になると、若かりし頃の思い出とともに津浪祭が心の中に甦ってくるのではないでしょうか。
 いずれにしても、このように小学生、中学生を祭に参加させること自体が良き伝承に繋がるのであろうと感じた次第です。

◆嶌廖廚慮凝澄■隠横臆鷏兮
 堤防に土を盛るという行為は、植樹祭のように、将来樹木が大きくなって花が咲くのを楽しみにするようなものではなく、簡潔に言えば、「堤防の補修」を意味しており、どちらかと言うと、儀式、神事に近いと思うのですが、これを敢えて「祭」と銘打っているところが、日本の祭りの本来の趣旨「感謝と慰霊」を想起させ、感心させられた点です。
 最初「津浪祭」と聞かされた時、「一体何を、どんな祭?」と心が高揚したのですが、内容を聞かされ、正直一瞬がっかりしました。
 ただ、その後じっくり考えて、また、町長さんの「祭りとしては地味だが、町としては寒い中続けることに意義がある」というお話を聞いて、なるほどと納得した次第です。なぜなら、町が「祭り」という恒例の行事として毎年執り行うことにより、町全体に防災の意識付けができるためです。また、広川町では、この祭りの開催を報道機関に発表するとともに、町の広報紙「ひろがわ」にも掲載、併せて町のホームページでも紹介するなど、町民等への広報も行っています。そして、何よりも、この祭りを江戸時代から112回にも渡り継続的に実施し続けていることは、まさに「津波防災の伝承」と言えるのではないでしょうか。
 町長さんのお話にもあったように、町長の任務としても、この伝統を継続すること、自分の代で途絶えさせないこと、という思いも暗黙のうちに代々受け継がれているのだと私は思っています。恐らく、次の町長さんにもその思いは受け継がれていくことでしょう。それほど町に浸透し、恒例化し、なくしてはならないものになっているのだと思います。

 この祭も、他の一般的な祭りと同様、最初は「第1回目」から始まっています。しかしながら、このようなものを考え出し、続けて伝統にまで昇華していくことは、まさに「後世への伝承」の良き施策の最たるものだと感じております。

 次回は、「児童園児津波避難訓練」についてご紹介します。