代表取締役社長
山本 忠雄

※「「平成28年熊本地震」現地調査レポート〜被災地で「備え」について考えたこと〜(その1)」の
 つづき。「その1」は、2016年8月22日付の記事を参照ください。



 14:00頃 熊本県庁 
 車を降りて県庁舎に向かう途中、内閣府や消防庁の防災服を着た人達とすれ違ったが、何となく「のんびりしている」ような印象を受けた。それに県庁舎全体が静かで、漠然とではあるが、予想していたような大地震対応中であるという雰囲気は感じられなかった。地震発生1週間後の日曜日ともなるとこんなものなのだろうか。
 県災害対策本部が置かれているという庁舎玄関を入ってまず驚いたのは、県民ホールというスペースが避難者に占拠されていたことである。我々の到着が日中であったことから3〜4人くらいの人がいただけであったが、たくさんの人が避難生活をしているらしく、ロビー一面に寝場所や生活用品が準備されていた。しかも、コンクリートに毛布や段ボールなどを敷いているだけで、マットレスなどは無いようであった。庁舎の案内をしている県職員に聞いた話では、誰が世話をしているか分からないが、地震発生当初から居るらしいとのことである。毛布などの寝具やプライバシー保護ができるダンボール寝室も「ご自由にお使いください」との張り紙付きで置いてある。これはおかしい。
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< 庁舎玄関付近にある「県民ホール」 >

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< 避難スペースと化した県民ホール内の様子 >

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< コンクリートの床の上に毛布や段ボールが敷かれている >

 発災当初の混乱期においては、「とりあえずは安全な場所に」ということで県庁舎に避難するのも仕方がないと思うが、2、3日もして市の避難所が開設された段階ではそちらに移ってもらうべきだ。県庁舎は避難所ではないし、被災市民は熊本市が面倒を見るべきで県庁の役割ではない。細部の事情は分からないし、大きな支障がある訳ではないから良いではないかということでこのような状態が続いているのではないかと推察するが、県庁舎を避難所と決め込んで居座っている被災者も、それを許している市も県も間違っていると思う。例えば、静岡県庁では庁舎入口付近に「この庁舎は、災害時には静岡県災害対策本部として使用するので立ち入ることはできない」との表示板を設置しているが、平素からの住民への周知と啓発が必要である。
 1階ロビーには男女2名の職員の方が「受付」として配置されていた。県災害対策本部には色々な機関の人達が訪れる訳だが、当然、その人達は県庁に不案内であろうことを考えると、このように受付を置いているのは適切な処置であると感じた。陸上自衛隊のある普通科連隊長から聞いた話では、平成27年9月の関東・東北豪雨の際、災害派遣を命じられて常総市役所に行き、1階の玄関付近で執務していた職員に災害対策本部室の場所を尋ねたところ、「知らない」との答えだったそうであるが、それとは大違いである。

 エレベーターが降りてくるのを待つ間にも1階の様子を見てみたが、ロビーの奥まった所に救援物資が山済みになっていた。テレビなどの報道で、熊本県庁ロビーには救援物資が配分されずに山積みになっているということは耳にしていたが、未だにこれだけ多くの救援物資が置いてあるとは…。なぜここに集積し、どこに供給する予定なのだろうか?
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< 配分されず山積みになった救援物資  

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< 配分されず山積みになった救援物資◆ 

 受付の方の案内では災害対策本部は10階にあるということだったので、エレベーターで10階まで行った。
 エレベーターを降りてまず目にしたのは、窓に向かっている私服を着た人達である。傍に行って見ると、中庭の窓に沿って設置されたカウンターなどにパソコンを置いて何やら打ち込んでいる人、カウンターに足を乗せて眠っている人もいる。使っている椅子の背には危機管理課の表示がある。入り口付近には避難所の状況や災害対策本部会議資料が積んであるところを見ると、どうやら臨時のプレスセンターのようである。しかしながら広報担当と思しき職員の姿は見当たらない。県であれば広報担当部署の近くの会議室をプレスセンターに充てるなど、もっとしっかりした広報体制を整えるべきではないか。あるいは、報道の人達が陣取るこの通路は、後で述べる災害対策本部事務室の入り口に通じていて、そこには広報班の要員がいたので、この場所が最適だとなったのかもしれないが。
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< 臨時のプレスセンター内の様子  

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< 臨時のプレスセンター内の様子◆ 

 災害対策本部事務局が設置されている防災センターに入り、自衛隊出身の有浦隆危機管理防災企画監にお会いした。有浦さんとは、防衛省が実施している平成24年度防災危機管理教育以来の再会である。彼は、統括グループの長として執務中であったにも拘わらずすぐに対応してくれ、災害対策本部の運営に関するこれまでの課題について以下のようなことを話してくれた。
 仝は、都道府県としては初めて台風と風水害対応の防災行動計画(タイムライン)を作成し、昨年度
  から地震対応のマニュアルの作成に着手して、これから仕上げと訓練をしようとした矢先にこの地震
  が起こってしまった。
 ⊇祥茵嶌匈佳弍は防災部局の仕事である」との意識が強かったが、災害対応のため、県庁職員が全員
  で働いてくれるようになった。
 H災当初に国(内閣府)が避難者を屋内に避難させるよう県災害対策本部に指示し、国とのやり取り
  等で、県災害対策本部の運営が滞ってしまった。
 せ抉臺資の受領・配分は、捌く要員や輸送手段の確保が難しく、円滑にできなかった。


 仕事を中断しての立ち話であったので長く拘束しては申し訳ないと思っていたところ、職員が指導受けに来たので、後は自由に見学させてもらうことにして失礼した。
 その後も(福祉関係の方であろうか)、女性職員2人が来て何か相談をしていた。彼の話の端々や職員が何かと相談に来る様子から、自衛隊出身の危機管理防災企画監として平素の防災体制の整備と災害対応に大きな責任を感じていること、そして、このような難局にあって、事務局の要として職員から大いに頼りにされていることが感じられた。
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< 職員を指導する有浦危機管理防災企画監(中央左) >

 防災センターの配置は、危機対策防災課と消防保安課の執務室、通信統制室、災害対策本部事務室と連接しており、事務局は、中央に全般状況図と危機管理監の席、それを囲む形で総括、情報、消防、広報、物資、医療などの各担当の席、その傍に九州地方整備局の服を着た方々の席、奥の壁側には入口に近い方から自衛隊の指揮所、海上保安庁連絡員、消防応援活動調整本部が陣取っていた。防災センター、言い換えれば災害対策本部事務局の執務室としてはモニターなどの通信機器が多くあり、通信統制室が連接しているなど、やや狭い感じはするものの良く整備されていると感じられた。これは、有浦危機管理専門官の災害対策本部運営体制整備の努力から出来上がった姿なのであろう(正確には、有浦さんは自衛隊出身者としては2代目なので、前任者の功績に積み重ねてということになるであろう)。
 また、本部事務局の室内に「DPAT」というビブスを着けた見慣れない人達がおり、何だろうとよくよく考えてみたら、「大規模災害などで被災した精神病の患者への対応や、被災者の心的外傷後ストレス障害(Post-traumatic Stress Disorder ; PTSD)をはじめとする精神疾患発症の予防などを支援する専門チーム」である(ウィキペディアフリー百貨事典より)、災害派遣精神医療チーム(Disaster Psychiatric Assistance Team ; DPAT ディーパット)の人達だった。このようなチームが制度化されたことは知っていたが、その姿を目にするのは初めてだったので、この熊本地震でも既にこのような精神衛生支援活動の体制も構築されているのだと感心した。
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< 防災センター内の様子  

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< 防災センター内の様子◆ 

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< 防災センター内の様子 >

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< 防災センター内の様子ぁ 

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< 防災センター内の様子ァ 

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< 防災センター内の様子Α 

 入口の窓側には、椅子に座ってパソコンの操作等をしている3人の方がいた。よく見ると、西部ガスの連絡員の方々であった。話を聞くと、地震発生以来ずっとその場所で机も無しで業務をしているとのこと。机ぐらいは準備してあげればいいのにと西部ガスの方々への同情と県の配慮の足りなさを感じた。私は、自衛隊を退職してから静岡県庁で勤務したが、そこではライフライン関係者の執務室などを準備していたので、特にそう感じたのだと思う。
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< 机も無い状態で業務に従事する西部ガスの連絡員 >

 その他の部署の活動状況も見たいと思って廊下をうろうろしていたところ、新潟大学の危機管理本部危機管理室の田村圭子教授にお会いした。
 田村教授は、内閣府防災担当の防災担当職員研修や新潟県の風水害対応本部運営訓練等でお世話になってきた方である。教授は自治体や企業等の災害対応の研究のエキスパートで、中央防災会議委員を務めるなど、国の防災対策や制度の構築についても大きな役割を果たしておられるが、今回も地震が発生してからすぐに熊本に進出していたとのことであった。
 田村教授から9階には自治体からの応援本部が、8階には医療救護調整本部が設置されているということを聞き、まずは9階に降りることにした。

 9階に降りていくと、「応援府県市本部」と「全国知事会熊本県庁内現地連絡本部」の看板を掲示した部屋があり、都府県市等からの応援職員が5つくらいの島に分かれて総勢20名ほどが執務していた。平成28年2月に関西広域連合の訓練支援のために京都府庁に行った親しみもあり、京都府の防災服を着たお二人に話かけてみると、国際課の留学生政策担当課長と環境部公営企画課経営計画担当主事であると言う。関西広域連合の訓練に参加しているのは防災部署の人達が主であったから、このお二人はこのような支援業務の訓練をした経験がないものと思われ、いきなり派遣され、そのご苦労が偲ばれた。
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< 応援府県市本部、全国知事会熊本県庁内現地連絡本部 >

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< 都府県市等からの応援職員が執務中の室内 >

 8階には職員研修室という大部屋があり、そこでは医療関係者が集合し会議をしていたようで、ちょうど解散の宣言がされたところだった。机上に置かれたプレートが災害対策本部長や部長などの職名であったことから、この部屋が災害対策本部会議場なのだと理解した。県の本部員だけでなく、国や関係機関の人達も入れての会議となれば、かなり多くの人が参加することになるから、このような
広い部屋が必要になるのであろう。
 しかし、それにしても、会議の運営に必要だと思われるモニターやプロジェクターなどのIT機器、地図などもなく、災害対策本部として災害応急対策を審議、決定する最高の意思決定の場としては物足りない感じがした。会議の時には、災害対策本部事務局の人達が色々な資料や器材等を持ち込んで会議を進行したのであろうか?
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< 災害対策本部会議場と思われる職員研修室内の様子 >

 隣の部屋には国の現地災害対策本部が設置され、内閣府、国土交通省、気象庁等の職員が執務していた。ただ、国の現地本部というからには、副大臣クラスの本部長やそれを補佐する参事官や企画官、要員等の配席がしっかりしているものかと思っていたが、それもよく分からなかったし、静岡県庁で一緒に訓練した時に見たような通信機器等も準備されてはいなかったように見受けられた。
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< 国の現地災害対策本部が設置された室内の様子 >

 国の現地本部の隣の部屋には医療救護調整本部が設置され、厚生労働省の職員や全国からの災害派遣医療チーム(DMAT)の方々が壁のボードに何やら書き込んだり、打ち合わせをしたりするなど、緊迫した雰囲気が感じられた。
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< 医療救護調整本部が設置された室内の様子 >

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< 壁のボードに書き込むDMATの要員 >

 これまでは台風などによる風水害対応が主であった熊本県とすれば、今回のように他の自治体から大勢の職員の支援を受けることはあまり考えられていなかったと思われるが、DMAT活動調整本部も含め、このような執務室を準備したのは適切であったと考える。
 熊本県庁の雰囲気はと言えば、多くの階の部屋の明かりが点いていたようではあるが、日曜日ということもあってか全体的にはひっそりとした感じで、全庁を挙げて災害対応に当たっているようには感じられなかった。東京で報道されていた被害の規模と被災民の救援に関する諸々の課題、避難所の確保、被災民への救援物資の支給、避難者の心身の健康維持、応急仮設住宅の建設等々のためにもっと多くの職員が活動しているものと予想していたが、他自治体などからの応援職員が目立つのに比して、当の熊本県職員の姿はあまり見かけなかった。県職員の中には被災している方も多くいるには違いないと推察するが、それにしても地震発生10日後の県庁災害対策本部の活動とはこんな状況なのだろうか?
 4月16日1時26分に「本震」が発生したことにより、結果的に「前震」扱いとされることになった4月14日21時26分の震度7の地震が発生した時、熊本県庁、あるいは職員はどのような対応をしたのであろうか。
 /Πの参集と動員(配置)、対応方針の決定など、初動体制の確立はうまくなされたのであろうか?
 被害情報等の収集や被災市町村への県職員の派遣は適切に行われたのであろうか?
 8の出先機関はうまく機能したのであろうか?
 て盂嬋椶両霾鸚荼チームは、4月15日未明には熊本県庁に入ったと思われるが、受入れと情報交換
  などはうまくいったのであろうか?
 チ蠎,依梢未撚案眸鯑颪難しいことに加え、大雨の予報がなされた状況で、避難者の収容と生活支援
  をどのようにしようとしたのであろうか?
 Φ澑臺資の配分が滞っているのは物資を捌く要員が足りないからと言われていたが、物資の調達・供
  給の計画はあったのだろうか?
  また、東日本大震災の教訓から、政府は被災自治体の要請を待たずに救援物資を送り込む、いわゆる
  プッシュ型の支援を実行したが、それに対応できる体制を構築していたのであろうか?
 Ъ治体等からの応援職員の受け入れ、配置の調整は滞りなくなされたのであろうか?

 そのようなことを考えつつ県庁内を見て回ったが、それらのことは災害対応が落ち着いたら県自ら検証すると思われるので、いずれ明らかになるであろう。

 熊本県庁8階の災害対策本部会議室の窓から市街を眺めて驚いた。車で地上を走行している時は目にすることはできなかったが、県庁舎周辺の民家の屋根がブルーシートで覆われていたのである。熊本市内でもこんなに多くの家屋被害が出ていたのか。これは大変だ−熊本空港から県庁までの間には分からなかった被害の大きさを実感した瞬間であった。
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< ブルーシートで屋根が覆われている県庁舎周辺の民家 >


 次回に続く。