代表取締役社長
山本 忠雄

※「「平成28年熊本地震」現地調査レポート〜被災地で「備え」について考えたこと〜(その2)」
 つづき。「その2」は、2016年8月29日付の記事を参照ください。



 15:00頃 熊本市立東町小学校 
 熊本県庁の災害対策本部で全般の被害や対応状況を把握した後は、熊本市内の避難所の状況を見て回ることにし、陸上自衛隊健軍駐屯地近くの東町小学校で、陸上自衛隊出身の熊本市議会議員、光永邦保氏と合流した。光永氏には、東京を出る前から避難所の案内をお願いしていたのである。
 東町小学校では、14日夜の地震発生時には多くの住民が体育館に避難したそうであるが、16日の本震の時に天井から金具などが落下するなどの被害が出て危険になったことから、その後は教室に分散して避難しているそうである。
 光永氏の案内で校舎に入ってまず目についたのが運営本部と思われる部屋であり、校長室が使われていた。教職員の他に熊本市の職員と福岡市職員3,4名が運営支援をしていた。校長室の前には、グラウンドの車両内宿泊者を含め、267名が避難をしているとの集計表が置かれていた。それにしても、まさか校長室が避難所運営本部になっているとは…。
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< 避難所運営本部となった東町小学校の校長室 >

 この東町小学校には健軍東小学校や税務大学校の避難所を回った後に再度訪れ、私とは幹部候補生同期で、この地区の町内会長をしている松尾君に会ったので、その辺の事情を聞いた。
 彼の話では、体育館で避難生活をしていた時には松尾君が指導して避難者主体の避難所運営をしていたが、体育館が使えなくなり校舎内で生活をするようになってからは、校長や教頭を含む教職員が主体となり避難者の面倒を見てくれているとのことであった。東日本大震災の時にも教職員が避難所運営を担ったという事例が沢山あり、日頃から自主防災組織の方々に「避難所の開設・運営は避難者自らでやらなければいけません」と講釈している身としては複雑な心境であった。

 松尾君に案内をしてもらい、校内を隈なく見て回った。
 校舎内もあちこちで損傷している箇所があり、通行止めとなっている渡り廊下もあったが、それでも教室はほとんど無事で、1教室2〜3所帯の方々が避難生活をしていたように見えた。畳を敷いている人もあったが多くの人は薄いマットと毛布だけで、体が痛くて寝られないという人もいた。
 ある教室には小学生であろう女の子が3人くらいおり、我々が覗くと一斉に駆け寄ってきた。私は松尾君と次の教室に移動したが、後で齋藤に聞いたところでは、齋藤が黒板に得意の漫画を描いてあげたらとても喜んでいたそうである。地震で大変怖い思いと不自由な生活が続いている中において、よその誰かでも話しかけ遊んでくれることは、それだけでさぞ気が休まることであったに違いない。
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< 2〜3所帯の方々が避難生活を続ける教室内の様子 >

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< 教室の黒板に漫画を描く避難者の子ども達 >

 校内を回り終わる頃には、ちょうど夕食の配食が始まる時間になっていた。この避難所でも第5地対艦ミサイル連隊(熊本市)の隊員が炊き出しをしており、校内避難生活者には校舎の中で、在宅避難生活者には校舎外のテントで、と場所を分けて配食をしていた。外のテントの配食所では、配食を手伝う小学生と思われる男の子や女子中学生のボランティアの姿もあった。誰がそのような指導をしたのか、また、いつから手伝いをしているのか聞くのを忘れてしまったが、大変感心をしたのと同時に、とても微笑ましくも感じた。それにしても、自衛隊には炊出しをさせ、子ども達には手伝いをさせていながら、多くの大人の住民が何もしていないように見えるのはなぜなのだろうか?
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< 炊き出しを配食する第5地対艦ミサイル連隊員 >

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< 配食を手伝うや女子中学生のボランティア >

 駐車場となっている校庭からガレキ集積場と思われる空き地が見えた。松尾君に聞くと、彼がその空き地を一時的なガレキ集積場として使わせるよう市役所に掛け合ったとのこと。パワーショベルが活動していた。
 周辺の道路脇には、壊れた家財やビニール袋に入ったゴミがあちこちに積み上げられていた。熊本市の場合、被害は限定されているように見え、地震発生後10日も経って道路の通行も不自由なくできるというのに、市役所によるごみ回収作業が追い付いていないのだろうか?
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< ガレキ集積場(空き地)に積み上げられた震災ゴミ >

 熊本市立健軍東小学校
 光永氏の車の後に続いて走って行くと、学校と思われる施設の外で交通統制をしている人達がいた。健軍東小学校の校門前で交通誘導をしている中学生ボランティアである。ここの避難所でも、中学生達が物資配給などの手伝いをしていた。
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< 校門前で交通誘導をする中学生ボランティア >

 避難者の状況はといえば、校庭に停めた車の中で生活している人、教室や体育館の中、校舎の玄関で生活している人など様々な所で生活していた。体育館の中も明確な通路もなく、個々人が思い思いに寝場所を占有し雑然とした感じで、避難所の配置として統制が取れているようには見えなかった。また、敷物も下の写真のようにゴザや毛布であり、これで10日も生活していたらたまらないだろうと避難している方々が気の毒に思われた。
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< 剥き出しの床にゴザや毛布を敷き生活する避難者 >

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< 通路もなく雑然とした状態の体育館内 >

 ここの避難所では、職員室や保健室等に避難所運営に携わる人達が入っているようで、医療スタッフのビブスを着けた人などが詰めていた。体育館の入り口には、「食事に特別な配慮が必要な患者」が生活していることへの注意事項を知らせる看板が置いてあり、医療スタッフのきめ細かな支援がなされているのに感心した。また、ここでは陸上自衛隊第8戦車大隊(大分県玖珠町)の隊員達が給食支援のため派遣されてきており、我々が行った時にはちょうど夕食の準備を始めようとするところであった。隊長としばらく話をしたが、炊事以外ではあまりやることもないとのことであったので、体育館や教室に多くに人達が寝転んでいる様子を思い出し、そろそろ避難している人達自らに炊事をやらせればいいのに思った。ちなみに、隊長は大型トラックの中で寝泊まりしているとのことであった。
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< 食事に関する注意事項を知らせる看板 >

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< 夕食の準備をする第8戦車大隊員達 >

 税務大学校熊本研修所
 光永氏の案内で次に訪れた場所は、税務大学校熊本研修所である。ここは、熊本市の指定避難所になっていなかったが、地域のリーダーである山本氏が世話役になって避難所として運営しているとのことであった。ご自分も被災者でありながら、皆さん方の世話もしている姿には本当に頭が下がる思いであった(※この時の写真が光永熊本市議のホームページに掲載されていたので、ご紹介させていただきます)。

 山本氏と挨拶を交わしてからまず案内をされたのが研修施設の方である。
 見れば施設の左半分が大きく崩れている。右半分は耐震補強してあり、外見では損傷を受けているようには見受けられない。多くの施設でこの写真のような耐震補強を施しているのを見かけてきたが、こんなに効果があるものだとは思わなかった。
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< 耐震補強未実施(左)     耐震補強済み(右) >

 建物を見て玄関に戻ってきた時、「福岡市」の表記を付けた車両が駐車場に入って来た。
 車からは福岡市の防災服を着た人が2人降りてきたので、話しかけてみた。福岡市では熊本市からの要請を受け、職員100人と車両50台の規模で避難所の運営支援や支援物資の仕分けなどの支援をしているそうで、福岡からバスでまとまって移動し、熊本到着後に小型車でそれぞれの支援場所に移動するという方式を取っているということであった。そう言われてみると、東町小学校にも健軍東小学校にも福岡市の職員の方が配置されていた。
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< 「福岡市」の表記を付けた災害支援車両 >

 全国の政令指定都市の間では災害時の応援協定が結ばれており、東日本大震災の際にも仙台市には新潟市等が真っ先に駆けつけ、手厚い支援が行われたとのことである。また、「指定都市市長会」では、応援協定に基づいて「広域・大規模災害時における指定都市市長会行動計画」なるものが準備されており、毎年これによる図上訓練が実施されている。昨年は静岡市、一昨年は神戸市で実施され、弊社が企画・実施を支援した。
 東日本大震災でもそうだったが、被災地では行政職員も被災者となり、また、災害対応の業務が爆発的に増大することから、被災地外の自治体からの支援は不可欠である。したがって、自治体では応援・受援の計画を作り、災害対策本部運営図上訓練等により、その活動に習熟することと計画等の検証をしておくことが求められるが、未だ多くの自治体でそれがなされていないのが現状である。

 税務大学校熊本研修所のいわゆる本部棟はほとんど無傷であり、この棟が避難所として使用されていた。
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< 避難所となっている税務大学校熊本研修所(本部棟) >

 正面玄関の外や中のロビーには大量の水や食料、生活用品が積んであり、先ほど到着した福岡市の職員や高校生などのボランティアが活動していた。ここでは物資に不自由はしておらず、避難者が調理済み食品などで炊き出しをしているとのことであった。
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< 大量の水や食料、生活用品が山積みにされた正面玄関 >

 2階と3階には、教室や会議室のような部屋が4〜5室くらいあったが、各部屋ともスペース的に余裕のある状態で避難生活が送られているように見受けられた。研修所というだけあって中はきれいで、ゴミの分別もしっかりなされているようであった。
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< 研修所内の避難スペース(室内)の様子 >

 玄関脇には男女兼用の簡易トイレが2基設置されていたが、避難者の数からするととても足りず、さぞ不自由なことだろうと気の毒に思われた。
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< 玄関脇に設置された男女兼用の2基の簡易トイレ >


 次回に続く。