代表取締役社長
山本 忠雄

※「「平成28年熊本地震」現地調査レポート〜被災地で「備え」について考えたこと〜(その3)」の
 つづき。「その3」は、2016年9月5日付の記事を参照ください。



 17:30頃 益城町下小谷 
 東町小学校でそれまで案内をしてくれた松尾君と光永氏に御礼と激励を申し上げながら南阿蘇村の宿泊施設に向かった。経路は松尾君が色々と調べてくれていて、南阿蘇村の行方不明者捜索などに向かう自衛隊が使用しているらしい経路を前進した。
県道36号線(熊本益城大津線)を熊本空港手前で右に折れ、県道206号線(堂園小森線)に入って山道を下って間もなく、視界が開けたと思ったら左谷側にブルーシートが目に飛び込んできた。集落あちこちの屋根がブルーシートに覆われている。「これは大変だ」と車を止め、見て回ることにした。
 ブルーシートがかかっていない家も屋根瓦が崩れ落ちている。1階部分が潰れ2階部分が覆いかぶさっている家、壁が崩れ落ちている家、土台から川に崩れ落ちている家、ブロック塀も倒れている。この益城町下小谷(しもおやつ)の集落は活断層の直下だったのであろう。殆どの家が被害を受けている。ここでは住み続けられる家はないのではないかと思われた。一部の家では、住民の方が片付けなどをしているようにも見えたが、どこかの避難所に避難しているのであろう、それ以外は人の姿はなかった。
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< 殆どの家が被害を受けた益城町下小谷の集落 >

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< 1階部分が潰れ2階部分が覆いかぶさっている家 >

 24日夕〜夜 
 その後は、グリーンロード南阿蘇を走り、南阿蘇村の宿泊施設に向かった。途中で、自衛隊、消防、警察、電力会社等の車列と何度もすれ違った。今日の行方不明者捜索や復旧作業等を終了して宿舎に帰るところなのであろう。自衛隊は地元の部隊だけでなく、第13旅団(広島)など他の方面隊から派遣された部隊が沢山走っていた。それらの部隊とすれ違うたびに「あそこの部隊も来ている」などと言い合ったものである。仲間への懐かしさと敬愛の念を込めつつ。
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< グリーンロード南阿蘇で熊本方面に向かう消防車両 >

 南阿蘇村に入ってから南阿蘇村役場に行ってみた。辺りは既に暗くなっていて雨も降っていた。
 役場の駐車場には自衛隊の車両などが沢山停まっており、また、庁舎の玄関付近等には報道の通信車両などが停めてあり、ここが村の災害対策本部だということが察せられた。
 玄関から入ると、ロビーには報道関係者が陣取っており、村職員の執務場所では職員の方々が何やら打ち合わせなどをしていた。災害対策本部室の様子が見たいと思って探したが見つけることができなかった。今思えばだが、現地調査の最初の日ということで、何となく遠慮があり、ずけずけと立ち入ることができなかったのである。そのため、ここでは写真を撮り損ねた。

 役場を出てすぐ目の前に店があったので、念のためにと食糧を調達してから宿舎へと向かったが、途中にはコンビニも営業していた。現地では電気が消え、食料や水なども買い求めることができなくて、調査活動にも不便だろうということで、非常用糧食や水などを沢山背負い込んで行ったのだが、熊本市内や益城町、宇土市等でもコンビニや食堂などが営業しており、次の日からの活動においても食事や買い物に不自由することはなかった。被災地では水やトイレに不自由がある所が多かったが、電気が使えるようになっていたのは災害対策本部の運営にしても、避難所生活にしても、さらには地域の社会・経済活動にも幸いなことであった。
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< 水やトイレに不自由な所が多いものの、電気は使える >

 この日の宿舎は「星降る里・響(ひびき)」というペンションであった。この現地調査を行うことが決まったのは4月20日(水)で、飛行機の便や宿泊施設が確保できるかどうか心配であったが、齋藤が「探しまくって」やっと確保してくれた所である。
 現地では雨も降り、既に日が暮れていたし、しかも「星降る里・響(ひびき)」は阿蘇山の南斜面ともいうべき山の中にあったので、途中で電話をして案内を受けながら移動したため、たどり着いた時には20時を過ぎていた。
 風呂は使えない、シャワーは1人ずつ交代で、他の宿泊客が帰って来る前に、というご主人の奨めだったので、部屋に荷物を置くと交代でシャワーを浴び、夕食は各自が東京から持って行った物や役場近くの店で調達したカップラーメン等を、食堂を借りて食べた。
 その頃には、TEC−FORCE(テック・フォース=緊急災害対策派遣隊)の防災服を着た人達が3名くらい帰って来た。今まで南阿蘇村役場で会議に参加していたのだろうか?あちこちで土砂崩れ、道路や橋の損壊等が発生しているので、やることが一杯あって大変なご苦労をされていることだろうと思い、せめて「お疲れ様です」と声をかけた。
 ペンションのご主人は、地震のために奥様がご不在の中を一人で切り盛りしておられ、夕食の時も朝食の時もお湯やお茶を準備するなど、何かと世話をしてくれた。ペンションを始めたいきさつや地震の時の様子、そして、地震が発生してから片言の日本語で電話をして来る者が何人かいた−空き巣狙いで不在かどうかを確かめていたのではないかということなどについて、色々と話してくれた。
 部屋にはベッドが3つあり、やや狭かったものの、ゆっくり眠れる場所があったこと、心配された余震がなかったことは幸いであった。私は、避難所で生活する人達や災害対応をしている人達のことなどを考えたりしていたせいかなかなか寝付けず、朝も早く目が覚めてしまったが、澤野と齋藤は疲れていたせいか早々に熟睡できたようで、余震の心配もなくゆっくり眠ることができたことを喜んでいるようであった。

 次回に続く。