代表取締役社長
山本 忠雄

※「「平成28年熊本地震」現地調査レポート〜被災地で「備え」について考えたこと〜(その4)」の
 つづき。「その4」は、2016年9月12日付の記事を参照ください。


 平成28年4月25日(月)  
 08:10頃 南阿蘇村河湯 
 空は曇り、あちこちに霧が出て視界はあまり良くなかったが、それでもこの辺りは景色が良い所なのだろうと感じられた。「白水水源」などの観光案内もあちこちに立っている。
 大規模な山崩れの直撃を受けて崩落した阿蘇大橋と、同じように、土砂崩れで人が生き埋めになり捜索活動が続けられている現場を見るために、国道325号線を西に向かって走って行くと、谷川に大きく崩れているドライブイン風の家があった。国道脇の方は無事のようだったが、谷側の方は地盤からめちゃめちゃに崩れている。盛り土部分だけが崩れている様子がはっきりと見て取れた。
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< 谷川に大きく崩れ、1階が完全に潰れた民宿 >

 車を降りてその状況を見ていると、ここで民宿を営んでいたというご夫婦が来られた。
 地震の時は2階に寝ていて無事だったそうだが、「もうここでは民宿はできないだろう、未だ村の人は誰も来てくれない。これからどうなるのか」と途方に暮れている様子だった。自然と我々3人が入れ替わり立ち代わり色々と話を聞く形になったが、その時の穏やかな表情を見て、当時の体験談を話すこと、聞いてもらえることで少しは気が休まっているのかもしれないと思った。
 「気をしっかり持って頑張ってください」と挨拶をして車に乗ったら、「よろしくお願いします」との言葉が帰ってきた。我々を役所の調査員と思っていたのかもしれないと、その後も気になっていたが、帰りにこの家の前を通り掛かった時には、応急危険度判定士と思われる人と一緒だったので安心した。本当にこれからの生活はどうなるのだろうか。

 09:00頃 南阿蘇村長陽公園付近
 民宿を後にし、阿蘇大橋の現場に向かったが通行止めになっていたために、そこは諦め、生埋め者捜索現場に行くことにした。林が開けたと思うと、道路の両脇に自衛隊の天幕や車両が沢山並んでいた。車両側面に付けられた「災害派遣」の表示は、福岡県小郡市の第5施設団隷下の第9施設群と書いてある。
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< 自衛隊災害派遣部隊の天幕や車両が並ぶ >

 車を停めて宿営地の様子を写していると、陸曹の方がやって来た。群長から、何者か確認するように言われたとのこと。部外者が勝手に宿営地の写真を撮っているのはけしからんということなのであろう。
 我々は自衛隊出身で、現在は防災・危機管理コンサルの仕事をしていること、被災地の状況調査に来ていること、そして、自分は施設団長の仲人をした山本という者であることなどを説明し、名刺を渡して群長に挨拶したい旨を申し出たが、生憎いまは会議中ということだったので、そこで失礼することにした。
 後で確認したところによれば、その宿営場所は長陽公園という所で、芝生広場が天幕地域、車両は駐車場や近くの空き地などに置かれていた。車両については、この近辺のあちこちの道路脇に大型トレーラーや油圧ショベルなどの施設器材が停めてあり、誰も自衛隊のこんな大きな器材を持って行く者はいないであろうが、それにしても、管理は大丈夫かと思ったりした。隊員も車両もまとまって宿営できるような広い場所がなく、部隊が適当な所を探して使っているということなのであろう。本来なら、自治体が、天幕展張地域、駐車場、ヘリポートなどを含む広い場所を自衛隊等の活動拠点としてあらかじめ選定しておき、災害発生時にはそこを確保して使用させるということが望ましいのだが、この辺りの自治体でそれがなされていたかどうか。

 09:30頃 南阿蘇村長陽パークゴルフ場付近
 この時点での熊本地震による行方不明者は2名で、阿蘇大橋付近の土砂崩れ現場と河陽の高野台団地でそれぞれ捜索が行われていた。
 第9施設群の宿営地から少し走ると交差点があり、警察官数人が交通統制をしていた。ここが高野台団地の捜索現場の入り口で、ここからは関係者以外の立ち入りは規制されているようであった。果たして我々は関係者として立ち入ることができるのかどうか?
 警察官の後ろの少し離れた場所に自衛隊の警務車両が止まっているのが見えたので、とりあえず交差点手前で車を降り、警察官に会釈しながら交通統制に従事していた警務隊の曹長の方に声をかけた。14日夜の地震発生以来、自宅の片付けもしないまま災害派遣となり、この場で交通統制に任じているとのこと。
 我々が自衛隊出身者であることや齋藤は警務職種であったことなどを紹介し、そして、心からの慰労と激励を申し上げつつ、捜索現場に入ることができることを確認した。
 ここでも、その後もそうであったが、社の防災服に「調査」の腕章を着け、ヘルメットと車に「調査」と表示し、しかも現場で活動している自衛官に声をかけることによって、どこにでも入ることができた。怪しい者ではないという姿と自衛官と話をしているという動作は、暗黙の立ち入り許可証としての効果を発揮した。

 交差点の傍には「南阿蘇村長陽パークゴルフ場」があり、そこにあるかなり広い駐車場には、警察や消防の部隊の車両が沢山停まっていた。警察、消防の部隊は、この駐車場から捜索現場まで徒歩で行き、捜索が終わればここに帰り、そして宿舎に戻るという活動を繰り返しているようだった。我々が捜索現場まで歩いて行く間にも何隊もの部隊とすれ違ったし、駐車場の中を見て回った時には埼玉県警の部隊が到着し、捜索に出発する準備をしているように見えた。捜索現場から帰って来る部隊は泥まみれの隊員ばかりで、作業の大変さが偲ばれた。
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< 南阿蘇村長陽パークゴルフ場の駐車場 >

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< 徒歩で捜索現場を行き来する警察、消防の部隊 >


 09:30頃 南阿蘇村高野台団地
 長陽パークゴルフ場から行方不明者の捜索現場である河陽の高野台団地までは約1.5km、歩いて15分くらいの距離であった。途中にも、広島から来た警務や福島から来た第44普通科連隊の隊員の方々がいたので、いつからここに来ているのかなど、激励の意味も込めて八戸や仙台での勤務の思い出話などをしながら前進した。

 長陽パークゴルフ場の駐車場も、アスファルトに大きな亀裂が入るなどの損傷を受けていたが、歩いていく途中でも所々で崖崩れや道路の片側が大きく崩れている所があった。また、高野台団地入り口付近の道路は、右側の山から流れてきた厚い土砂で道路が完全に埋もれていて、その上に道路がつけられていた。その道路は昨夜の雨で泥濘化しており、自衛隊の車両でなければとても通れないだろうと思われた。

 現場は、山の中に作られた新興住宅地という感じで、入口近くに2棟の鉄筋コンクリートの集合住宅が、その奥には戸建ての住宅が並んでいた。集合住宅は被害がないように見えたが、戸建ての住宅の方は地盤の崩れと山から流れ降りてきた土砂で被害を受けていた。土砂崩れの原因となった山は、緩やかな牧草地という感じで、土砂が流れ降って来たという表現がふさわしい。それでも大量の土砂が押し寄せて家を押し潰し、最終的に5人が亡くなっている。5人目の方は、沢の方に押し流された家と共に土砂に埋まっているものと見られていた。
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< 行方不明者の捜索現場となった河陽の高野台団地 >

 現場では、警察、消防、自衛隊の部隊が自衛隊と民間の油圧ショベル4台を使って土砂を堀り上げながら捜索をしていた。それも二次災害防止のために、土砂崩れが始まったと思われる京大火山研究センターが立つ山に変化がないかどうかを自衛隊と消防の隊員が監視をしつつ。流された家があった所に積もった一段高い土砂の上には報道と思しき人達が大勢集まり、捜索の状況を見守っていた。
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< 二次災害防止のため、山の変化を監視する消防隊員 >

 私は自衛隊に入ったばかりの昭和43年の十勝沖地震の時には八戸に居り、山が崩れて生き埋めになった人の捜索に行ったことがあった。その当時は、自衛隊の存在が今のように認知されていない時代だったので、反対勢力の監視下での捜索活動で、遺体に傷をつけてはいけないと全て人力の作業であった。近年は時間・速度を重視し、すぐに重機を入れて捜索活動をするようになっている。やや大げさな言い方であるが、時代は変わったものである。

 この現場で私が感じた疑問は、この捜索活動の指揮は誰が執っているのか分からなかったことである。現地調整所のような施設も見当たらない、自治体の職員もいないようだ。少し高い所で作業を見ている警察の人が3人くらいいるが、この人達が現場指揮官なのだろうか。
 このように、自衛隊、警察、消防などの関係機関が共同で活動をする現場では、活動を円滑かつ効果的にするため、自治体を含む関係機関による現地調整所を設置して活動調整を行うことが原則である。しかも、災害応急対策活動の中心となるべき自治体の職員が立ち会うことが必要であると思う。しかしここではそのような活動調整が行われているようには見えなかった。救出・救助、行方不明者の捜索は関係機関任せという自治体の姿勢は良くないと思われる。

 この現場では、初めてドローンの現物を見た。確か産業技術研究所の人達だったと思うが、パソコンに何やら打ち込んだ後で女性の職員が操縦をして飛び上がらせた。
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< ドローンを操縦する産業技術研究所の職員 >

 平成19年9月1日の静岡県総合防災訓練の時には、カイト(凧)にカメラを積んで上空に飛ばし、地上のモニターで被害状況を見るという器材を開発した業者にそれを持ち込んでもらい、視察に来られた当時の安倍総理に展示したことがあった。それがこんなドローンという優れたものができるとは、本当に驚きである。

 次回に続く。