代表取締役社長
山本 忠雄

※「「平成28年熊本地震」現地調査レポート〜被災地で「備え」について考えたこと〜(その5)」の
 つづき。「その5」は、2016年9月20日付の記事を参照ください。



 10:30頃 南阿蘇村河陽東急カントリータウン阿蘇 
 高野台の捜索現場からの帰りに「東急カントリータウン阿蘇」の案内図がある別荘地のような所に入って住宅地を見て回った。外の道路を歩いていても大きな被害を受けているのが分かったからである。
 沢沿いの家は軒並み、地盤が傍を流れる濁川の方に大きく崩れ、建物は土台から傾いて今にも沢に転落しそうになっている。建物に近づくのも危険だと思われた。また、住宅地の中央付近には、断層と思われる幅10〜15mほどの亀裂が住宅地を縦断する形で続いており、その列に並んだ住宅は土台がえぐり出されて傾いている。
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< 地盤が傾き、今にも沢に転落しそうになっている建物 >

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< 断層と思われる亀裂が住宅地を縦断する形で続く >

 この「東急カントリータウン阿蘇」は、最近できたばかりの高級別荘地という感じで、新しい住宅が多かったが、殆どの住宅が損傷を受けていて、応急危険度判定の「危険」と書かれた赤紙と「要注意」の黄紙が貼られた家が数多く見られた。
 住宅地の奥の通りを歩いていると、中年の男の人が家の前に立っていた。近づいて話しかけると、この家の住人で応急危険度判定を待っているとのこと。外見は壁の一部にひび割れや剥落がある程度で、大きな被害はないようであったが、家の中は「めちゃめちゃになっている」とのことだった。聞けば、11年くらい前にここに移り住んできて、奥様と2人で暮らしていたが、地震があってからは余震が怖いので避難所で生活しているそうだ。
 しばらく話していると、隣の家から調査員風の男性2人が出てきた。応急危険度判定の腕章を付けている。この方々は大分市の職員で、幸いにして大分市内は大きな被害を受けなかったので応援に派遣されたのだそうだ。地域を割り当てられて連日判定に回っているが、被害が大きくてなかなか捗っていない、と申し訳なさそうに話していた。被災された住人の要望も沢山あるであろうことを考えると、この方々もまた大変なご苦労をされているのだろうと気の毒に感じた。
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< 応援で派遣され応急危険度判定に回る大分市職員 >


 12:00頃 南阿蘇村南郷谷付近
 東急カントリータウン阿蘇を見た後は、予定通り益城町役場に行くことにし、南阿蘇村の市街の方に下りて来た所にコンビニがあったので、弁当を買って店の前で昼食にした。東京から背負ってきたパンなどがあったが、こんな時には、逆に地元で調達した方が支援にもなるであろうと考えていた。
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< 九州電力の300kVA高圧発電機車 >

 上の写真は、その駐車場で澤野が写した九州電力の車両である。側面には「300kVA高圧発電機車」の表示がある。傍には燃料であろうドラム缶が2本ずつ置いてあった。また、今朝一番に立ち寄った阿蘇大橋の手前の通行止めの所では、大掛かりな送電鉄塔の復旧工事が行われていた。
 九州電力では、地震による大規模な土砂崩れにより送電線が使用不能となり、広い地域で停電になったことから、全国の電力会社からの応援を含め、この地域に160台以上の高圧発電機車を配置して電力供給をしていたそうである。それも本震があった16日に、四国電力と中国電力の応援隊が到着して活動を開始したのを皮切りに、次々と全国からの応援隊が駆けつけて来たそうである。前にも書いたが、電気が使え、明かりが点いていること、これがどんなにありがたいことか。その後の移動間にも、高圧発電機車が停まっているのを何台か見かけた。我々が気付かず、目にもしない所で、一刻も早い電力供給と復旧に尽力している。電力会社に感謝するばかりである。
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< 送電鉄塔の復旧工事(阿蘇大橋手前の通行止め箇所) >


 13:00〜14:00頃 西原村
 南阿蘇村で昼食を終えてから、まず西原村の避難所を見ることにした。昨夕南阿蘇村に向かったグリーンロードを逆に走り、県道28号に入って西原中学校を目指した。
 この村もまた大きな被害を受けていた。道路沿いだけでなく、奥の方の家も瓦が落ちたり、家本体が潰れたり傾いたりしていた。無事な家は殆ど無く、赤紙が貼ってある。
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< 多くの家屋に被害が発生した西原村の状況  

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< 多くの家屋に被害が発生した西原村の状況◆ 

 西原中学校には、多くの避難者が生活していたようであった。避難者の多くは校舎の方に、体育館は物資集積・配給に使用されていたようである。校庭には車が沢山停めてあり、車中泊をしている人も多くいるようであった。
 ここの避難所の運営体制がどのようになっていたのかは残念ながら分からなかったが、第43普通科連隊(都城市)や第3後方支援連隊(兵庫県伊丹市)などの部隊が給食、給水、入浴等の生活支援をし、日本赤十字社東京都支部が隣接している「にしはら保育園」に救護所を開設していた。その他にボランティアの方々もいたようで、支援体制が出来上がっていたように見受けられた。
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< 給食、給水、入浴等の生活支援を行う自衛隊 >

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< 「にしはら保育園」に開設された日赤の救護所 >

 体育館の中には、水、缶詰やカップ麺、野菜、衣類、紙おむつ、ブルーシートなど色々な救援物資が種別ごとに積んであり、「家族の必要な分だけにしてください」との注意書きは貼ってあったものの、欲しい人が自由に持って行くという配分要領になっていたようである。校庭には「銀だこ」の方々が差し入れに来ていた。
 我々が着いて間もなく、熊本県知事の視察があるとのことで、体育館の玄関で出迎えのために待っている人達がいたが、我々がいた14:20頃までには到着されなかったようである。
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< 体育館内には救援物資が種別ごとに積まれている >

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< 差し入れに来ていた「銀だこ」の方々 >


 次回に続く。