危機管理業務部 主任研究員
 三宅 丈也

 災害大国である日本は、有史以来、幾多の自然災害に見舞われてきましたが、多大な犠牲のうえに復旧するということを繰り返しつつ、今の繁栄の享受に至っています。そして、先人は、自分たちが否応なく経験した大災害についての様々な「教え」を私たち子孫のために残してくれています。
 今回は、この「先人の教え」についてご紹介したいと思います。

 崢膣冀録未猟吐犯蝓廖弔海海茲蟆爾暴擦爐
 東日本大震災(2011年(平成23年)3月11日)による被害の多くは地震そのものより津波によるものが多く、津波被害は太平洋側沿岸部に集中しました。そして、概ね37年に一度の周期で起こり得るとして警戒されていた宮城県沖地震より遥かに規模が大きかったため、千年に一度の大災害と呼ばれています。では、その千年前の災害とはどういうものだったのでしょうか。今から千年余の昔の平安時代、東北地方沿岸を大津波が襲い、多くの人々が命を失いました。これが貞観地震として記録されているものであり、この津波被害から数えて千年に一度の大震災と呼ばれています。
 しかし、過去に津波被害を受けた先人たちが後世に教えを残したといわれる地域では、住民の津波に対する意識も高く、実際、東日本大震災による津波被害も極限されたと言われます。中でも、先に挙げた貞観地震の津波により被害を受けた先人たちは、後世の私たちに「教え」を残してくれました。それが、石碑であり、言い伝えです。
三宅_No.02_石碑イメージ
【 某県沿岸部の高台に設置された津波石碑 】

 貞観地震の津波碑(宮城県東松島市宮戸島)について、以下に引用を交えてご紹介します。
 《貞観地震津波碑は、半島先の月浜海水浴場に向かう峠にある宮戸郵便局前の道路横の畑地(写真1)にある。写真2のように、貞観という刻字がかすかに読み取ることができる古い貞観地震津波碑と「貞観の碑に感謝」という刻字がある説明碑がある。貞観11年(869)の貞観地震の時、両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかったという言い伝えが残されている。ぶつかったとされる場所(標高約10m)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。
 東日本大震災の時には、約1,000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難、津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまったという。》
(引用:香川大学 松尾裕治氏「東日本大震災から3年半後の被災地「津波災害伝承碑、高地移転集落等」現地調査報告」平成26年11月)


 宮戸島の古い言い伝えによれば、貞観地震では100人以上が亡くなったとも言われ、このことを後世に残すために建てられたと思われる古い石碑は、「ここより下に住むな」という目印だったのでしょう。先人たちが私たち子孫に津波への備えについての教訓を残してくれたからこそ、東日本大震災の津波から多くの住民の命が救われたと言えます。

東北三県にある津波石碑
 貞観地震の津波碑以外にも、東北地方太平洋沿岸部の高台などには、数多くの石碑が建っています。

❶津波石碑に関する調査(青森・岩手・宮城)
 東北地方では、明治以降の約150年間に限っても、明治三陸地震津波、昭和三陸地震津波及びチリ地震津波など、多くの被害を及ぼした地震・津波がありました。これらの津波を後世に残すべく、多くの津波石碑が各地に建てられました。これら3大津波で残された石碑は、東北三県で約300基とされています。

❷碑文が後世に伝えるもの
 これら東北三県の津波石碑約300基のうち、碑文が刻印されている石碑は198基あり、碑文のうち61%には津波の予兆・避難・居住場所に関する教訓が刻印され、38%は悲惨な被害の状況が刻印されています。

❸教訓が刻印された石碑
 これらの石碑の多くには、「地震があったら油断するな」、「地震があったら高い所に集まれ」、「津波に追われたら高い所に上がれ」、「ここより低い所に家を建てるな」等の教訓が刻印されているそうです。(参考:国土交通省東北地方整備局道路部HP「津波史跡調査概要」)
 実際、これらの津波石碑のある地域より高いところでは、千年に一度の大災害といわれた東日本大震災でもほとんど被害を受けませんでした。

新たな「先人の教え」…現代の「千年碑」の建立
 これまで見てきたように、先人は強く、逞しく、賢く、そして私たち子孫に対し、自らが経験した大きな自然災害についての教訓を様々な媒体・手段を通じて残してくれました。それは石碑であったり文書や言い伝えなどですが、我々はこのことを決して忘れることなく、次の世代へと残していくとともに、実災害に遭遇した場合は教訓として教えを活かすべきなのでしょう。
 このことをまさに実践している例があります。それは、東日本大震災による津波で被災した宮城県の女川中学校の生徒が中心となって実施中の「いのちの石碑」設置プロジェクトです。
 《晴天に恵まれた平成25年11月23日(土)の朝、女川中学校正門前において、記念すべき最初の「いのちの石碑」の除幕式が開催されました。「いのちの石碑」は震災津波被害の記憶を千年先の未来へと伝えるための石碑で、津波被害を受けた女川町で、震災当時女川中学校の1年生だった生徒が主体となって、女川町内21浜での石碑建立計画の立案や、資金募集のための募金活動が進められました。》
(引用:復興庁HP「地域からの復興情報」)


 過去に何度も津波被害を受け、数多くの津波石碑等で先人から津波に対する教訓・警告を受けてきている東北地方太平洋沿岸部の人々でさえ、永い年月を経る中で、漁業、農業、そして生活の便を考慮するうちに、津波石碑等のある高地から徐々に低地へと生活の基盤を移していきました。災害の記憶が新しいうちは「安全」を求める意識・行動が強いものの、代を重ねることにより少しずつその記憶は薄れ、「住みやすさ」を求める意識・行動の方が徐々に強くなってきてしまうのは自然の理とも言えます。
 「災害は忘れたころにやってくる」とよく言われますが、自然災害というものは我々人間を「試すもの」であり、自らの「忘却との戦い」とも言えます。しかしながら、これまで見てきたように、津波被害の教訓は千年の昔から残され、そのおかげで私たち子孫が助かったのは厳然たる事実であり、また、同様に、現代の若者たちが千年後の子孫に教訓を残そうとする新たな「先人の教え」が連綿と続いているのです。私は、この現実に驚きと同時に安堵を覚えるとともに、喜ばしく、かつ誇らしく思いました。
 私たちは、「安全」と「住みやすさ」という天秤の皿を決して「住みやすさ」の方に傾けてはいけないのだと思います。そして、そのことを、日本の今の若者たちはきっと理解してくれているものと信じています。