危機管理業務部 主任研究員
 大木 健司


 少し古い資料からの引用になりますが、内閣府防災担当の「避難行動要支援者の避難行動支援に関する取組」(平成25年8月)によると、「東日本大震災においては、被災地全体の死者数のうち65歳以上の高齢者の死者数は約6割であり、障害者の死亡率は被災住民人全体の死亡率の約2倍に上った。他方で、例えば、消防職員・消防団員の死者・行方不明者は281人、民生委員の死者・行方不明者は56名にのぼるなど、多数の支援者も犠牲となった。」との記述がありました。
 また、警察庁の資料「東日本大震災と警察」(平成24年3月)では、警察官の死者・行方不明者(平成24年3月11日現在)は30人、「これらのほとんどは、津波からの避難誘導や被害情報の収集に当たっている最中に津波に巻き込まれたもの」とありました。
 これらの犠牲者のうち、どれぐらいの人が、いわゆる「避難行動要支援者」の避難に関わっていたのかは分かりませんが、要配慮者の津波からの避難行動を支援している間に一緒に犠牲になった方が少なからずおられたと思います。
 ちなみに、「津波」の心配がなかった熊本地震における消防職員の被害を調べてみましたが、「熊本市消防局活動記録誌」を見ると、熊本市消防局職員(796人)には人的被害が無かったようです。
 私が過去に「津波避難訓練」の企画・運営に携わった時の話です。
 そこは太平洋側の海岸線に接した集落で、南海トラフ巨大地震が発生した時は、5分後に3m以上の津波が到達することを想定(中央防災会議の資料とは若干異なる想定でしたが・・・)して毎年訓練を行っていました。
 私は、大津波警報発表後の避難開始から避難完了までの時間を計測するため、ある地点で待機していると、防災行政無線が「大津波警報」の発表と津波からの避難を呼び掛ける放送を始めました。その時です。私の居る近くの民家の住民が、「〇〇、行って来るからよ。待っててな。」と窓越しに家の中に声を掛けて避難を開始しました。避難を始めたのは70代ぐらいの夫婦です。私が、「家の中に誰か居るのですか?」と尋ねると、寝たきりの母親が残っているとのことでした。「5分後に津波が来るから、とても一緒には逃げられない。連れて逃げたら自分達も助からない。」との理由から、訓練の時は、いつもそうしているとのことでした。そこには一緒に避難したくても避難させることが出来ない現実がありました。
 さらに住民たちと一緒に避難しながら資料を収集していると、今度は避難経路の途中で立往生?している避難者に遭遇しました。障がいのある我が子を車椅子に乗せて避難する母親です。山中の高台に至る避難経路は途中から階段になっているため、車椅子では登ることが出来ず、その階段の手前で止まっているのです。母親から見れば子供でも、体格的には立派な大人で、母親が背負って階段を昇ることなど到底出来ません。その姿は、「避難できる所まで避難したのだから後は天に運命を任せて・・・」と言っているかのようでした。
避難経路階段
【 途中から階段となる避難経路 】

 私達は、職業柄や人道的な見地から、「親」や「子」を見捨てて避難することをタブー視しますが、自分がその立場になって考えると、「親を助けようとしたら自分達も助からない。」とか、「自分だけ逃げるくらいなら子供と運命をともにする。」といった気持ちは十分理解できます。
 時間に余裕のない場合の避難行動では、「親と子のいずれかを一方を助ける」といった「究極の選択」をしなければならないことも想定されるのです。
 このように、「避難行動要支援者」に対する避難行動の支援は、ケースバイケースであって、津波到達や家屋倒壊の恐れのない現場であれば、安全・確実を第一に避難行動を支援できますが、津波到達までの時間の余裕のない場所では、支援を断念せざるを得ないケースもあり、「救える命」は救うが、状況によっては「救えない命」もあることを頭に置いて、要支援者個々の「避難支援計画」を作成し、避難の予行(訓練)を実施して問題点を把握し、計画の改善を図り、問題点に対する処置が出来ない(支援者の安全が確保できない)場合は、実行が可能な場合に行う条件付きの「避難支援計画」として作成しておく必要があると思います。
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【 避難行動要支援者の避難訓練 】

 さらに言えば、いざという時に「救うことができない人」は、平時に「救っておく」(災害のリスクの少ない場所で生活させる)のが最良の方策ではないかと考えます。