危機管理業務部 主任研究員
 三宅 丈也


 昨今、SNSの普及などから新聞の発行部数が減少したと言われたりしますが、通勤電車内を見る限りでは新聞を読む人をまだまだ見掛けたりします。
 これら「新聞」は明治以降に発行されていますが、その源流は江戸時代の「読み売り(よみうり)」(読み物を売る者)が売り歩いていた「かわら版」に求められます。 
そして、わが国で最も古い「かわら版」は、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣に発行された「大坂安部之合戦之図」と「大坂卯年図」といわれています。ただ学問的な確からしさにはやや疑問が出るものとされていますが、絵の拙さなどから少なくとも江戸時代初めの頃のものと考えられ、この頃には「かわら版」が誕生していたのは間違いなさそうです。
 しかしながら、「かわら版」は、幕府公認を得られなかったことやほとんどが一枚摺りということからその多くは散逸し求めにくくなっていますが、中には当時あった様々な災害を絵とともにリアルに伝えているものなどが残されています。そして、江戸近辺のみならず全国いたるところの様々な自然災害についても残されており、大変興味深いものです。
 「かわら版」には、現代のテレビなどの災害報道という意味合いがありました。例えば、江戸のどこかで火事が起きた場合、それを表した「かわら版」は、『火事と喧嘩は江戸の華』といわれた当時の江戸っ子気質を満たす興味関心の対象としての災害情報の位置付けだけに留まらず、被災地周辺に居る知人の詳細状況が得られるほぼ唯一の手段だったことから、知り合いの安否情報の確認や火事見舞いなどへ繋がるツールとして広く買い求められ、時には飛脚を通じて諸国にも伝達されたりしました。
飛脚問屋の速報
 また、江戸から遠く離れた京都や大阪での火事・震災・水難などの災害情報も飛脚を通じて江戸は勿論、地方にも伝わっていました。その理由は、岡目八目的な好奇心も少なからずはあったのでしょうが、現代の様に災害の教訓を得るなどといったものではなく、その災害地におけるコメや生糸などの出来がどうなのかということに関心が向けられました。つまり、被災地の災害状況が物産の相場に大きく影響を及ぼし得ることから、早期の正確な情報の入手・伝達が一部の商人たちに求められていたという経済的な側面が大きかったものと考えられています。
 この様に、「江戸時代」、「かわら版」などというと私たちは前近代的とついつい思いがちですが、意外とネットワーク化され諸国の災害情報等が広く共有されていたのには驚かされます。





飛脚問屋の速報「江戸出火」

 これは災害の詳細を記した記事がビジュアルな絵とともに、人々にリアルに災害概要を伝達していたことが大きな要因だったのでしょう。
京都大火銅板かわら版

京都大火銅板かわら版(安政5年(1858)6月)

 先人は、かわら版という紙1枚に災害情報を凝縮して、飛脚という伝達手段を駆使して、まだ見ぬ他国(当時の他の地方)の天災等を当時としては信じられないくらいのリアルタイムでほぼ詳細に把握していたことから、その関心の高さには頭が下がります。
 たとえ近代的な素晴らしい災害情報の入手手段(ツール)を多種・多数揃え、携行していたとしても、私たち自身が「何とか早く、正しい災害情報を得たい、どうすれば良いか・・・」などの関心、すなわち自らの情報入手に対する【アンテナ】をしっかりと張っていなければ、時として有効な情報を得ることはできません。
 物に頼り切ったり、他人に頼み切るだけではなく、私たち一人一人が自らの【アンテナ】を常に張って、必要な情報、災害情報を入手し、日頃からの計画・訓練に基づき迅速かつ的確に対応すれば、いざ災害時においても「減災」を図っていくことが出来ます。
 物(情報入手ツール)を揃えろ、情報を住民一人一人に連絡しろ、などと人に求め続けるだけではなく、先ずは自らが出来ることは何かを考え、出来ることから始めるということが大切なのではないでしょうか。自らの事は自らが守り、その上に家族、隣近所を手助けする、この様な自助、共助の精神が重要と思われ、他力本願ではなく自力本願によってこそ、災害に克てるのかもしれません。
 様々な自然災害等が全国各地で不定期に生起する現代に生きている私たちは、日頃からの計画、マニュアルの作成やその検証としての訓練などの充実の上に、いざ災害の際には、如何に早く正しい災害情報を入手して自らが避難するとともに、家族、近くの避難行動要支援者などを手助けして避難させるかがカギとなります。そのためには、私たち自身が常に災害について関心を持ち続けること、換言すれば自らの災害情報入手の【アンテナ】を常に張っておくことが望まれます。
 先人が、「かわら版」による災害情報の伝達に傾注した興味・関心と労力・財力など、その形や狙いとするものは今とは少し違うかもしれませんが、「如何に早く、正しい災害情報を得て、広く伝えるか」という災害情報伝達の本質とその関心を持ち続けることの大切さは変わらないのではないでしょうか。ところで、古きをたずねて新しきを知るという「温故知新」という諺があります。ただ単に古いこと、昔の事というだけで切って捨てるのではなく、何か今に通じる様な考え方、教訓だとか、を導き出すことこそが私たちには必要なことと考えられます。
 古(いにしえ)の先人は、私たち子孫が忘れてしまったこと、又は忘れがちな大切なこと、必要なことにいつか気付くように、「かわら版」を残してくれたのではないでしょうか。