危機管理業務部 主任研究員
 三宅 丈也


 先ず最初に、宗教的なお話をするつもりはないことをお断りしたいと思います。
 皆さんは、一般的に神社・仏閣と聞いてまず何を連想しますか。鳥居、狛犬、神主、祝詞、袈裟、鐘・・・など色々ありますが、最近では私もはまっていますが御朱印帳と答える方も多いのではないでしょうか。また、古い歴史のある神社・仏閣ほど鬱蒼と茂る木々に覆われた荘厳なイメージが浮かび上がったりします。
 ところで、この神社・仏閣がある「場所」について考えた事があるでしょうか。
 たとえば、「高さ」について『高い所』か『低い所』かを尋ねると、概して「高い所」というのがほぼ共通したイメージではないでしょうか。とはいえ確かに街の中にもありますし、海神を祀る海沿いの神社もあります。しかし後者が建っている場所は高台ではないでしょうか。私の家の近くにも海神を祀る神社があって昔は海に面していましたが、ご神体(依代)はやはり高台にあります。
 また「人里の内外」について、『街の中』か『人里からやや離れた場所』かを問えばやや微妙となりますが「神社」に絞って、更に「古い」というフィルターを掛けると、『人里から離れた高い場所』となってくるのではないでしょうか。
 事実、平成23年3月11日に起きた東日本大震災による津波からも多くの神社・仏閣が被害を免れました。

 ここに、面白い研究論文があります。東日本大震災において津波被害をほとんど受けなかった神社は素戔嗚(すさのお)系の神を祀る神社で、逆に比較的被害を受けたのは天照(あまてらす)系の神社だったというもので、東京工業大学大学院のグループが震災後に研究発表した論文「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」です。概要は、東北一帯の神社の由来と祀る神を分類して「素戔嗚系」神社と「天照系」神社に大きく区分し、前者には津波被害がほとんどなく、後者は半数ほどが被害を受けていたというもので、更にその理由等についても論証したものです。
 この論証については異論もあるようですが、論証に至る事実、すなわち「祀っている神によって神社の津波被害の受け方に相違があった」ということ自体は興味深いと思います。では、なぜそうなったのか。そもそも、祀る神の違い(神力?)で被害の度合いが異なってくる、などという事は基本的にあり得ず、何か根拠となる理由があるはずです。以下、論証とは別に危機管理的に考察してみたいと思います。

 大昔、素戔嗚という神様が居ました。この神様は皇室の先祖である天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神ですが、暴れ者として高天原(たかまがはら)から追放された出雲の地でヤマタノオロチを退治してから同地に留まり、後に出雲の国を創った大国主命(おおくにぬしのみこと)の数代前の先祖神になったことで有名です。この素戔嗚を祀る神社の系列としては、他に須佐神社、熊野神社、八重垣神社、八坂神社などがあるといわれます。
 素戔嗚は、初めは乱暴者の天津神(あまつかみ)(高天原の神)でしたが、出雲に下ってからは正義の味方である国津神(くにつかみ)(土着の神)になっていくという変身をしました。出雲は神話で有名ですが、現代に生きる私たちに連なる大和朝廷に国譲りをしたという神話からは、何らかの歴史的事実が匂います。この国譲り神話や天孫降臨及び神武東征などの「言葉」や内容から、日本古来の人たちが住む国(又は国に準ずる集合体)がもともとあって、そこへ後から大和朝廷側が入ってきたという歴史的事実を反映したのではないかと想像します。もしも、その推論に立てば負けた側の出雲系に連なる素戔嗚など日本古来の神(国津神)を祀るもともとあった古い(天照系神社よりも)神社を、勝った側である大和朝廷側が祀る天照大神系(天津神)の神社がどんどん駆逐して人里離れた高地に追いやったとも考えられます。しかし逆転の発想として、実は追いやられたのではなく未だ大和民族が移り住む以前から、先住の民は自分たちが信じる神を一番の聖地に祀っていたのだ、という考えもできます。 
 縄文の頃は、アニミズムという原始宗教的な自然崇拝が主でしたので、高い山そのものや山頂付近にあった磐座(いわくら)、大木などを神として祀っていました。つまり、その聖地は一般的には「人里から離れた高い地域・場所でした。その自然崇拝の神が居ます「人里から離れた高い地域・場所」は、有史以前からの永い永い年月を経ていますので、当然の様にその間に様々な自然災害、津波などにさらされてきた「場所」であるとともに、これら自然災害、津波に打ち克ってきた「場所」でもあります。そして、後の時代に神社としての体裁を持つに至ったとも考えられ、結果として「素戔嗚系の神社がある場所」は津波など自然災害に強いということに結びついたのではないかと考えられます。神社鳥居(山形県フリー素材から(羽黒山))言い換えれば、自然災害、特に津波など数多の洗礼を受けつつ長い歴史の中で残ってきた「(高い)地域・場所」こそへ、素戔嗚系の神社が建てられたともいえるかもしれません。
 翻って、天照系が後から来たものと考えれば、先住の人々を(自分たちが信奉する天照系の神に)教化し易い様に、人里に近い便利な場所(ということはやや低地)に新しく神社として建てていったのではないでしょうか。そのため、結果として低地であることや古い自然災害、特に津波の記憶が断絶してしまったために、素戔嗚系の神社に比べてやや津波被害を受けてしまったのではないかと思われます。

 以上はあくまで推論ですが、「自然災害、特に津波に強い場所」にこそ自分達が信仰する神を祀るという結果は、永い歴史が培った「先人の教え」ともいえるでしょう。素戔嗚系が津波に強く天照系はそうでないという理由の解明に努力を傾注するのも良いですが、理由はどうあれ結果として自然災害、特に津波に強いという結論が既に出ている「(高い)地域、場所」に生活基盤などを置くべきということは大いに参考になるものと考えられます。
 さらに、神社の建つ場所だけでなく、先人の教え(石碑)でも述べましたが、古い石碑や言い伝えが残された地域・場所より高い場所は過去にほとんど津波被害を受けていないことから、この様な先人が私たち子孫に津波への備えとして残してくれた教えを真摯に受けとめて実践していくことこそが大切なのではないでしょうか。