危機管理業務部長
山本 忠雄
※「東日本大震災の特徴から防災体制の整備を考える(その5)」のつづき。
「その5」は、2011年10月17日付の記事を参照ください。
東日本大震大震災が発生してから早くも1年余りになりました。
東日本大震災は想定外の大地震で(「古地震学」的には869年の貞観地震という事例があることから、厳密には想定外ということにはなりませんが)、大津波と福島第一原子力発電所の事故を引き起こし、未曾有の大きな被害と避難者を発生させました。
この東日本大震災は戦後の我が国に降りかかった大厄災だと思いますが、更に不幸だったのは震災11カ月目(平成24年2月10日)にしてやっと復興庁が発足というように、迅速かつ適切に復旧・復興を主導すべき政治が低迷の極みにあるということです。被災地では、多くの被災した人々が生活再建に希望が持てず、自治体もまた復興計画の推進が思うようにできないことから、政府の行動の鈍さにやきもきしてきました。そして、福島原発事故により町ごと避難を余議されている人々がいます。
それはさておき、従来、我が国には広域避難、すなわち、自治体の地域を越えて避難するという思想はありませんでしたので、今回のテーマのように「被災地からの住民避難が全国的な広がりで実施されていること」もまた想定外のことでした。
確かに阪神・淡路大震災でも新潟県中越地震でも県内外に避難をするということはありましたが、それは一部の人々に止まり、今回のように大規模な県内外への避難ということではなかったと認識しています。
政府の緊急災害対策本部が平成24年4月17日のまとめたところでは、今回の震災による全国の避難者数は約34万5千人で、そのうち岩手、青森、福島の3県からは約7万3千の人々が44都道府県、1,217市町村に避難しています。特に、福島県では原発事故により62,736人もの人と、双葉町などは役場機能ごと埼玉県加須市に避難しているという状況です。
< 実際に避難所となった某施設の入口 >
我が国においては、そもそも居住地域の外、すなわち市町村の外に避難をするという思想はなく、地域防災計画では住民の居住地域内に避難所を指定していますし、原子力災害による避難についても、せいぜい10キロ圏の外に避難をさせるということで考えられていました。また、国民保護計画においても警戒区域外の近傍に避難所を設置して避難をさせることが前提になっており、都道府県外に避難をさせるための避難計画の作成や、国や避難先都道府県との調整等の具体的事項などは検討されていませんでした。
ところが、今回の大震災、特に福島第一原発の事故は、これまでの避難の考え方が全く不十分であることをあからさまにしてしまいました。政府は、地震発生1時間50分後の3月11日16時36分には原子力緊急事態宣言を発令し、17時23分には福島第一原発の3キロ以内に避難指示を出したのを皮切りに、12日18時25分までに20キロ以内まで逐次に拡大していきます。この時の報道によれば、住民8万人がほとんど自主的に避難をはじめ、国道114号線などは避難する車で渋滞したということです。また、桜井南相馬市長のお話では、福島原発から20キロ以上離れた同市では、国から原子力事故に係る防災計画などを作る必要はないと言われたため避難計画もなく、県や国から何の情報もない中でテレビ報道によって避難指示が出されたのを知り、無統制のまま住民避難が始まったということでした。夜間に、しかも停電、電話が思うように通じない中での放射能の恐怖にさらされながらの住民避難、その混乱ぶりが察せられます。この自主避難は、行政として住民の避難状況の把握や公的被災者支援手続きなどの面で大きな課題を残しています。
平成22年12月に青森県庁において、青森県と岩手県合同の国民保護図上訓練が行われました。その主要なテーマになったのが「八戸市民を岩手県内に避難させる」という、いわゆる広域避難でした。その時は、バスや鉄道を利用して避難をさせるという輸送手段が主な検討事項でしたが、避難住民に青森県や八戸市の職員が同行するのかどうか、避難所の運営は誰がするのかというようなことは十分に討議されず、共通の認識がないまま課題として残されました。
今回の福島原発事故を受けて、内閣府の原子力安全委員会は防災指針の見直し行い、地域を30キロまで拡大しようとしています。東海、東南海・南海、首都直下など、発生が近いとされる巨大地震では必ず広域的な避難が必要になるでしょう。国、都道府県、市町村を挙げて広域避難について検討し、具体的な計画やマニュアルを策定しておかなければならないと考えています。