危機管理業務部 主任研究員
山之内 裕
※「東日本大震災で避難所生活を体験して…(その2)」のつづき。
「その2」は、2012年8月27日付の記事を参照ください。
【避難所の一夜】
近所の方の心のこもった塩おにぎりと一杯のカップ麺に感謝をしつつ、石油ストーブを囲んで椅子に座り、そのストーブの明かりだけを見つめて沈黙の中に身を委ねていると、外でエンジン音が響き始めました。私は経験から、発電機のエンジン音だと理解できました。
午後9時頃、市の職員の方が体育館の横の出入り口から車載の投光機で、体育館に明かりを入れようとしました。しかし、出入り口の扉を開放しての投光は、避難者にとってはあまりにも寒過ぎるため、外で発電して、体育館の上部にある回廊に投光機を置いて、中に明るさを確保しました。
体育館の中が投光機で明るくなって皆が落ち着きを取り戻した頃、校内放送の設備を使ってNHKラジオが放送され始めました。放送は、仙台放送局と青森放送局からの放送でした。いずれも、今回の震災の被害状況が過去にないほどの甚大な被害であることを伝えていましたが、詳細は判っていないようでした。
午後10時頃、昼間のセミナーの主催者として、東京から八戸に来ていた知り合いに携帯電話で電話を掛けてみました。彼は、青森県の出先機関にいるということで、避難所のように食料の提供もなく、お菓子類で凌いでいるということでした。ただ、県の計らいで、明日の夕方、民航機で三沢空港から帰京できそうだとのことで、どちらが良かったのか分かりませんが、お互いの無事を確認して、電話を切りました。
この頃になると、椅子に座っていることも窮屈になって、ブルーシートに座ったり、横になったりし始めました。なんとか眠りに入りたいと思い、毛布2枚とも1回折って二重にして、敷布団と掛布団の代わりにして、着ていたスーツの上着とコート、さらに貸して頂いたベンチコートを掛けて就寝体制に入りました。が、既にイビキをかいて寝ている人が枕元にいたり、大きな余震があったりで寝付けませんでした。余震があると、天井から吊り下げられている照明器具が大きく揺れ、今にも落ちそうで、目を凝らしている状態で、朝までウトウトしたり目が覚めたりの繰り返しでした。
<余震のたびに大きく揺れる体育館天井の照明器具>
【一夜明け…】
午前4時頃、体育館の上部の窓から、音もなく屋根から落ちる雪が見え、なんとなく不安感が増した様な気がしました。
Uさんは右隣でよく寝ているようでした。左隣は会社員風の30歳前後の男性で、こちらもよく寝ているようでした。
午前6時頃、日の出の時刻なのか、明かりが窓から入り、なんとなくホッとした感じになりました。前掲の写真のように、かなりの明るさが戻りました。太陽の力のすごさに感激でした。
皆が、ノソノソと起き出した頃、市の職員の方が拡声器で、JRは本日も終日運転見合わせ、復旧は不明という交通情報を提供してくれました。「今日は帰れない」と諦めました。「もう、なるようにしかならない」と思った途端、マイナス思考から抜け出したように気持ちの切り替えができたような気がしました。
午前7時頃、朝食として、塩おにぎり1個と暖かい味噌汁を頂きました。やはり、近所の方々の手作りの心のこもった食事の提供でした。明るい中での朝食で、心も明るくなれたような気がしました。
<避難者への朝食提供>
市の職員の方が新聞(デーリー東北)を配ってくれました。10人に1部程度でしたが、被災後初めて目にする惨状に、皆、驚きを隠せませんでした。一面に大きく載った津波にさらわれる家々、火と黒煙に覆い尽くされる街・・・。この避難所に居られることが、どんなに助けられているのかを心の底から実感する衝撃の強さでした。
こうなると、自宅のある東京の情報が気になります。体育館に流されるNHKラジオは、仙台と青森の放送局からの情報で、その他の地域の情報は全く放送されません。と言うより、情報が入っていないのかも知れません。気にはなりますが、なす術がありませんでした。携帯電話で東京の誰かに聞ければ良いのですが、繋がり難い状態が続いています。また、昨日から、携帯電話には安否を心配してくれるメールが十数通入って、受信して読み、簡単に状況を返信するだけで、電池が消耗しているのです。いざという時のために、電池の消耗は避けたいと思っていました。
午前10時頃、Uさんがしばらく姿を消していると思っていたら、飲み物、お菓子、ふりかけ、週刊誌などを買って帰って来ました。「駅の中を通れば、お店のある駅向こうはそれ程遠くない」と言いました。それを聞いて、左隣の男性も買い出しに行き、30分程で、缶コーヒーなどを買って来てくれました。(下の図の青線が駅の中を通る経路で、赤線が避難時の駅からの経路。避難時は安全のため、駅の中を避けたようです。)
<避難時の避難経路と駅中を通る経路の比較図>
航空自衛隊の三沢基地に知り合いがいることを思い出しました。早速、電池の残量の少ない携帯電話で連絡を取ってみたところ、運よく繋がりました。
情報では、三沢市も三沢基地以外は停電で、ここ八戸市と同じような状態であることが分かりました。空港のある三沢市まで行けば何とかなる、と思っていましたが、「ここは動かない方が良い」と判断しました。
午前11時30分頃、やはり、近隣の方々の手作りの塩おにぎり1個と小さなお餅が2個入ったお吸い物を、昼食として頂くことができました。
あと何回、近隣の方々に食事のお世話を掛けなければならないのか・・・。
(つづく)