危機管理業務部 防災課長
 岩崎 健次

 最近の「危機管理」に関する多くの議論の中で、自分自身、新しい発見がありました。
 発見のヒントは、先日のiPS細胞の開発でノーベル賞受賞を決めた山中教授の人柄、センスを表す「NHKのEテレ」の番組からです。
 番組では、会場の女子高生から「独創的な研究テーマをどうすれば見つけられるのですか」と質問された山中教授は、「僕には独創的な研究テーマを探し当てるといった能力はないのです。ないのですが、自然はすごく独創的なのです。その自然が教えてくれることを見過ごさないようにすることが大事です」と、サラっと答えていました。
 その時ハッとしたのは、やはり「3.11の東日本大震災」のことです。正確には「東北地方太平洋沖地震」ですが、この地震が起こるべくして起こったという事実を、私たちはもう一度正面から考えてみることが重要だと気が付きました。自然は本来独創的で「地球のメカニズム」に従い正確に活動しています。同じ自然の一部である「地球上で生かされている」人間は、現実として「東日本」の地で大型地震に遭遇してしまった訳です。
地球のイメージ3
 地球は46億年の時間が流れ、多くの地殻変動が未だに継続しているという事実は、地球物理の現実としてもう一度認識を新たにすることが必要であると考えます。
 確かに気象データの未整備の時代の地震については記録が少なく、専門家を含め気象庁が大規模地震の発生を予測することは困難を極めるものと考えますが、千年に一度と言われるものの、「祖先の時代」ではかなりの頻度で起こっていたことは間違いありません。
 東日本の海岸地域では、「長い平穏な日々の中で津波の被害を忘れ、いつの間にか生活の容易な海岸地域へ戻ってしまった」という話を聞きます。
 すなわち人間は、生活が豊かになればなるほど現状の日常生活が変わらぬ「通常」であって、個人の歴史の中では危機は起こりえないという錯覚」を持ってしまうのだと思います。「錯覚」は、もし不幸にも大災害が起きても、夢・幻のようなものであり、また一地域のアンラッキーな事象であって、交通事故や殺人事件のようなレベルと同様なものであったと片付ける材料となり、全体として本格的な対策・整備に直結していかなかった歴史が感じられます。
 日本の文化にもなっている「無常観」や「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という概念は、歴史的に多くの災禍を経験した日本人の知恵であったかもしれませんが、成熟した現代日本には、大きな危機事態も日常生活の中で独創的な自然であると認め、3.11を教訓として、日常生活の中であらゆる災害に対応する「継続的な仕組み」を創ることを真剣に考える勇気が求められています。

 一般にリスクマネジメント※の分野では、リスクの大きさは、以下に示すように脆弱性(Vulnerability)と被害発生の原因である脅威(threat)の積で表されます。
 リスク=脆弱性×脅威
 ※危機管理の予防面からの評価や組織化などを含めた広義の意味合いがある。
 すなわち、地震の脅威が大きければ大きいほど、また人間社会がコンピュータを含めたネットワーク化・精密化が高まることで安全度が低下すればするほど、リスクは高まることになります。
 言い換えれば、科学技術の進歩とビジネスの拡大により、豊かでかつ高度な社会を実現させることは、同時に「独創的な自然」から大きなリスクの代償を求められことを表しています。
 これを解決するためには、進歩のために必要な「人間の知恵」と同様に「脆弱性を低める努力」が求められていることを認識することが必要であると考えます。
 災害大国日本にとって、今回の「東日本大震災」における教訓の1つは、震災は稀少な災禍ではなく、地球の現実から経済大国・成熟国家を維持・運営していくことと同様に、「危機へ対応がより日常的に考えられ、社会リスクの軽減化を図るとともに、より実効性ある対応をとるべき時期に突入したことを教示している、ということを国民全体として理解することが重要であると考えます。