危機管理業務部 主任研究員
 井坂 敏之

 私の回では、「日常生活において危機管理の視点を持つことの重要性」をテーマに考えてみたいと思います。
 今回は、電車での帰宅途中に駅において遭遇した出来事をご紹介します。
電車2
< 駅ホームに停車する電車のイメージ >

 これは、私が平成21年7月に陸上自衛隊を定年退職し、8月から神奈川県某市の危機管理部門の職員として勤務して間もない頃のことです。
 「次のA駅は、先頭車両と2両目の一番前のドアはトンネル内のため開きませんのでご注意ください。」と、A駅に到着するたびに車内アナウンスが流れます。A駅を通過したことは、この時までに10回以上あり、当然このアナウンスも何度も聞いていた内容でした。
 しかし、この車内アナウンスに限ったことではありませんが、何気なく聞いていたとしても、実はその意味するところを理解していないことが多いように感じます。つまり、『聞こえている』ことと『聴いている』ことでは大きな差があることを認識する必要があります。車内アナウンスは、常に聞こえる音量で流れていますが、聴く意思が無いと、聞こえてはいても実は聴いていない状態、つまり中身を認識していないという状況が生じます。

 その日、私は先頭車両に乗って本を読んでいました。そこには、白い杖を持ち、目が不自由と思われる男性が乗っていました。A駅に到着すると、その男性は3か所位あったドアの前を移動しながら、「ワー!、ワー!」と叫んでいました。
 私は、『何を騒いでいるのだろう? 一体、何が起こったのか?』と瞬時には理解できず、『あの人は、どうしちゃったんだろう?』とあっけにとられていました。しかし数十秒後、自分が先頭車両に乗っていて、その車両はA駅ではドアが開かないということを思い出しました。そして、『あの人はA駅で降りたかったんだ』と状況を認識した時には、既にドアが閉まり、その男性はA駅で降りられずに、次のB駅まで行かざるを得ず、そこで戻りの電車を待たざるを得ないという状況になってしまったのです。

 その男性は、自分が先頭車両に乗っているという認識があったのかどうかわかりません。車内アナウンスを十分認識していたのかもわかりません。ただ、私が瞬時に状況を把握していれば、男性を2番目の車両の後ろのドアに連れて行ってあげて、A駅で降ろすことができたのにと思い、役に立つことができなかったことを悔やみました。
 そもそも、私はA駅で乗り降りすることはないので、車内アナウンスを自分には関係ないこととして聞き流していたのが大きな原因だと思います。自分が先頭車両に乗っていて、先頭車両はこの駅ではドアが開かないということを真に認識さえしていれば、このような目の前に困った人がいるという状況に遭遇しても、どうすれば助けられるかということを瞬時に判断し、救いの手を差し伸べることができたと思います。これが、『hear(聞こえている)』と『listen(聴いている)』の違いなのかなと思いました。

 『危険見積』という言葉がありますが、今回の状況がまさにそうだと思います。日常生活を送る上で当たり前と思っていることの中にも、少しだけでも意識をすれば防げる危険は沢山あるのです。

 次回も、別のケースを取り上げ、本テーマについて更に具体的に考えていきたいと思います。