危機管理業務部 主任研究員
菊池 政己
私が某自治体の危機管理室参事として勤務していたときですが、東日本大震災後に岩手県への被災地支援活動の際、岩手県宮古市の姉吉地区(重茂半島)にある大津波記念碑を訪ねる機会がありました。
その大津浪記念碑には、
高き住居は児孫の和楽
想え惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は
ここまで来て部落は全滅し、
生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心あれ。
と刻まれています。

【宮古市姉吉地区の大津浪記念碑】
明治29年(1896年)の三陸大津波では20人以上、昭和8年(1933年)の三陸大津波では100人以上の死亡者をだし、壊滅的な被害を受けました。
昭和8年の三陸大津波の後、この石碑を建立し、経験から得られた教訓を「教え」として石碑に刻みこむとともに、集落を石碑より高い地域に作り上げました。
そして、平成23年3月11日の東日本大地震です。
津波は、石碑の手前まで押し寄せましたが、石碑の教えを守った姉吉地区の皆さんは一人の犠牲者も、また家屋の被害もありませんでした。過去の大津波で壊滅的な被害を受けたときは海岸の地域に住居があり、津波の被害にあったといわれていますが、東日本大震災の際は、漁港やキャンプ場として使われていました。
【図左下の写真】
このことからも明らかなように、昭和8年の三陸大津波から78年後の東日本大震災において、先人の教えを実行することの大切さが実証されたといえます。

【東日本大震災時の宮古市姉吉地区の津波の状況】
また、気象庁は、平成25年8月30日午前0時から「特別警報」の運用を開始しました。
気象庁はこれまで、大雨、地震、津波、高潮などにより重大な災害の起こるおそれがある時に、警報を発表して警戒を呼びかけていましたが、これに加え、今後は、この警報の発表基準をはるかに超える豪雨や大津波等が予想され、重大な災害の危険性が著しく高まっている場合、新たに「特別警報」を発表し、最大限の警戒を呼び掛けるとしています。
特別警報は、東日本大震災による大津波、平成23年の紀伊半島豪雨(台風12号)等、極めて甚大な被害が出たこれらの災害において、気象庁は警報をはじめとする防災情報により重大な災害への警戒を呼びかけたものの、災害発生の危険性が住民や地方自治体に十分には伝わらず、迅速な避難行動に結びつかない例があった事実を重く受け止め、大規模な災害の発生が切迫していることを伝えるために、新たに創設されました。
過去の災害において特別警報に該当する現象としては、18,000人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災における大津波や、我が国の観測史上最高の潮位を記録し、5,000人以上の死者・行方不明者を出した昭和32年の伊勢湾台風、紀伊半島に甚大な被害をもたらし、100人近い死者・行方不明者を出した平成23年の紀伊半島豪雨(台風12号)等が挙げられます。
また、津波の場合においては、予想される津波の高さが3メートル超の大津波警報、地震(地震動)の場合においては、震度6弱以上の緊急地震速報を特別警報と位置づけています。その他、豪雪や火山噴火の場合などにも特別警報が発表されます。
特別警報が発表されたら、周囲の状況に応じて、ただちに命を守る行動をとることが重要です。
平成25年9月23日、台風18号が日本を縦断し、広い地域に大きな被害をもたらしました。
この際、気象庁は初めて大雨特別警報を京都府、滋賀県、福井県に発令し、危険の回避行動を促しました。
自治体は色々な手段で広報等を行い、住民の皆さんは避難所への避難や2階以上の高い場所等の安全な場所へ退避するなど、身の安全を守る行動をとったものと思われます。
特別警報は、数十年に一度しかないような非常に危険な状況にあるときに発表されるわけですが、先に述べたように、この特別警報が創設された経緯を紐解けば、やはり過去の経験や教訓(教え)がきっかけなのです。
私たちの周囲には、自然災害をはじめとして、常に様々な危機が潜んでいます。
つい先日、先に述べた台風18号が日本に襲来し大きな被害をもたらしたかと思えば、埼玉県や千葉県などでは竜巻による被害も発生し、連日メディアに取り上げられていました。
いつ・どこで・何が起こってもおかしくありません。先人の教えを即実行に移すことが今、求められています。