代表取締役社長
 山本 忠雄

 私は、平成23年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故があってからは、自治体の職員に対する講演の最後に、あの時の教訓として問いかけ、強調していることがある。
 それは、当時の菅総理をはじめとする関係大臣、原子力安全保安院、東京電力の責任者の写真を並べ、「これらの写真から読み解くべき教訓は何ですか?」と問いかけ、そして、
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と解き、「一人一人が、自分がやらなきゃ誰がやる、との意識をもって防災(危機管理)に取り組むことが必要である」と強調し、防災担当者としての責務を積極的に果たすよう呼び掛けるのである。
 あの時は、政府の対応が拙く、「人災、そして菅災」と言われ、二転三転、しどろもどろの説明を繰り返す原子力安全保安院は、「原子力不安院」と揶揄され、そして、取り返しのつかない原発事故を起こした当事者である東京電力の社長は、避難者から「土下座しろよ、清水!!」と罵声を浴びせられた。

 我が国においては、和を尊ぶ気質からか、特に災害などでは多少の不手際があったにしても、「皆良く頑張った」と組織全体の中で責任が曖昧にされ、個人的な責任を問われることは滅多にないまま過ごしてきた。
 菅総理は、福島原発事故では最善の対応をしたと臆面もなく主張し、防災体制の整備に明らかに不作為があったと思われる原子力安全保安院も東京電力も、誰一人として責任をとっていないし、法的裁きも受けていない。
 そしてまた、これからは、もう一つのことを「防災の責任を果たさなかった事例」として加えなければならないことになってしまった。それは、平成25年10月16日に発生した「台風26号による伊豆大島における土砂災害」である。

 この災害は、伊豆大島において台風26号に伴う記録的な豪雨があり、流木を伴う大規模な泥流により死者35名、行方不明4名、住家全半壊86戸(平成25年11月12日14時現在)の甚大な被害が発生したものである。
 災害発生の要因は、記録的な大雨、溶岩に堆積した火山灰土質の地盤、特別警報発令の不備などとともに、大島町役場の対応が不適切であったと指摘されているが、中でも大問題だと思うのは、「今年最大級の台風襲来と騒がれる中、 なぜ、大島町長は島を離れ、職員は帰宅したのか?」ということである。
 大島町長は、明日には伊豆大島が「10年に1度の強い勢力」の台風の直撃を受けるかもしれないと予想され、しかも副村長が出張で不在という状況にも拘わらず、15日朝に島を離れ、島根県隠岐の島で行われたジオパーク全国大会に参加し、夜はキャバクラで2次会までやっていたという(島のことが心配ではなかったのだろうか)。
 町長がこのような認識なのであるから、職員の危機意識もまた推して知るべしである。
 伊豆大島では、平成20年からこれまで7回の土砂災害警戒情報が出されたが、避難勧告等の対応はなく、幸いにして被害もなかった。今回もまた、「どうせ大したことにはならないだろう」と考え、川島町長はジオパーク大会を優先し、職員もまた警戒を疎かにした。
 多くの死者・行方不明者が発生した後の16日午後になって自衛隊機により伊豆大島に帰った町長は、「認識が甘かった」と記者会見で謝罪した。福島原発にしても伊豆大島の災害にしても、どんなに謝られたり反省されたりしても、放射能を消すことも死者を蘇らすこともできない。
 自民党は、この災害に関し、災害対策基本法で市町村長に多くの責任と権限が付与されているにもかかわらず、その責任を果たしていないとして市町村長に対する研修の実施などを提案した。
 地方公共団体の長は、「住民の生命、身体、財産を守る」という重大かつ崇高な責務を有しているが、それはほとんど首長の意識によって左右される。毎年自ら災害対策本部運営訓練を主導する人もいれば、訓練などには全く関心を示さない人もいるようである。かつて私が勤務した静岡県の石川知事は、常に「防災は県政の最重要事項、全職員の責務」と強調しておられた。

 防災は読んで字の如く、「災いを防ぐ」ことであり、災害を防ぐ体制を整備し、起こった場合にも被害を最小限にする対応力をつけておくことが求められる。伊豆大島の土砂災害の教訓から、地方公共団体の長の責任の果たし方とは、「平素における最大限の防災体制づくりを至上命題とし、それを強力にやりぬく」ことではないかと改めて思っているところである。