危機管理業務部 主任研究員
前之園 敏雄
早いもので、危機管理の世界に復帰して2年目を迎えております。
このブログに初めて投稿したのがちょうど昨年の今頃だったかと思いますが、今回は、この1年を振り返り、業務等を通じて感じたことなども踏まえ、思い出を綴ってみたいと思います。
1つ目の思い出は、平成25年6月の「平成25年度新潟県風水害対策図上訓練運営業務」です。これが最初の仕事となりました。
この仕事で最も感銘を受けたのは、平成16年7月の新潟・福島豪雨(平成16年7月13日に発生したことから、「7.13水害(ななてんいちさんすいがい)」とも呼ばれる水害)を、ほぼ当時の同様の状況を設定(再現)し、企画・実施されたことです。
新潟県において平成16年は、この豪雨災害に引き続き、10月には新潟県中越地震の発生と、豪雨災害、地震災害に相次いで見舞われた年でした。しかしながら、自治体職員の人事異動の特性上、今ではその災害の経験者も少なくなり、それに危機感を募らせた新潟県が企画した訓練がこの業務だったわけです。
ちなみに、私は平成17年8月に陸上自衛隊を退官(職種は施設科)していますが、新潟県上越市に駐屯する第5施設群が職種部隊での最後の勤務でした。同時期に高田駐屯地で勤務した今は亡き第2普通科連隊長は、新潟県中越地震の際、駐屯地で災害派遣命令を受けることなく、被災地に前進中に災害派遣命令を受け、小千谷市に前進、同市役所に第2普通科連隊の指揮所を置いて、12月の撤収まで指揮を執っていました。彼を知る人は「金ちゃん」の愛称で呼び、「国民の自衛官」にも選出されました。
このような思い出の地「新潟県」が、危機管理の世界への復帰第一戦となりました。
【 日本三大夜桜でも有名な新潟県上越市の高田公園 】
2つ目の思い出は、11月の「平成25年度福岡県原子力防災訓練」です。
社会福祉施設の避難訓練として、糸島市の特別養護老人ホームから大野城市の特別養護老人ホームへの避難行動の評価を担当しました。
平成22年〜平成25年までの約3年間、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)に勤務していたこともあり、個人的に非常に興味深い訓練でした。
訓練は、糸島市の特別養護老人ホームに入所中の介護が必要な高齢者を、救急車1台、施設の車椅子搭載可能な車両2台に、入所者6名(職員によるダミー)及び介助職員6名が分乗し、約40km離れた大野城市の特別養護老人ホームに、示された経路を約50分かけて避難するというものでした。
糸島市の特別養護老人ホームの車両に乗車するまでの避難準備、避難先である大野城市の特別養護老人ホームに到着した後に健康状態を確認するという一連の行動は、日頃の業務及び事前の周到な準備により、終始、冷静沈着に整斉と実施されていました。
この訓練を通じて痛切に感じたことは、災害時要援護者である福祉施設入所者を避難させる場合、同行者の介護職員のほぼ90%が、避難に同行した途端に災害時要援護者に早変わりするということです。すなわち、福祉施設は、最小限の人員で運営されていますが、その主力である女性職員は、同時に家庭等においても重要な立場にあります。その職員が1日でも家庭を留守にすれば、今度はその家族(お子さん等)が災害時要援護者になりかねません。このようなことから、少なくとも「医師、看護師、介護士等で構成する緊急援助隊なるものが自治体にできれば!」と思った次第です。
3つ目の思い出は、北海道の大雪原の中を普通列車で旅したことです。
これは、私が「JAEA(日本原子力研究開発機構)の危機管理教育(※職員等を対象とした講演が主な業務)」の業務支援担当として、最後(9番目)の講演支援のため、幌延深地層研究センターへ移動したときの出来事です。
通常は特急列車が運行されている区間でしたが、運悪くJR北海道の一連の不祥事により特急が運休中のため、快速列車に乗りました。ただ、「快速」といえば聞こえはいいですが、実際は普通の気動車でした。
若い頃、蒸気機関車の追っかけをやっていたので、「お座敷列車に乗れたし、ラッキーかな」などと思っていましたが、車内販売もない約4時間(往復8時間)の旅は、さすがにストレスが溜まりました。ただ、これも今となっては良い思い出の一つです。
【 北海道の大雪原 】
【 豊富町の幻想風景 】
4つ目の思い出は、国民保護訓練の支援業務で、東京都西部の自治体を皮切りに、青森県、愛媛県、愛知県、そして熊本県と、航空機、新幹線、レンタカー等、ほぼすべての交通機関を使って全国を旅したことです。
訓練を支援する中で感じることは、自治体の担当職員の頑張りと訓練に参加される方々のやる気の高さです。特に自治体の担当職員からは、会議等に参加した際に「昨日は徹夜でした!」などといった声をよく耳にし、「一生懸命頑張っておられるのだな」と改めて感心させられました。
国民保護の訓練が始まったのは平成17年ですから、まだ10年経っていません。あらかじめシナリオを決めての訓練が多いのですが、訓練の最後に行う振り返りやアンケート調査の意見に、シナリオがない状況で訓練をやってみたいといった意見が必ずあることから、今後は、シナリオ非提示型でも訓練を実施する必要性を感じております。
【 愛媛県今治城 】
【 熊本県苓北町富岡城 】
このように、この1年で多くの訓練に参加して、色々な場所に行き、沢山の皆さんと一緒に仕事をすることで、多くの刺激と元気をもらった次第です。
最後に、私が初めて投稿した記事で最後に記載した文章をもって、本稿の締めくくりとします。
“今年の目標(夢)は、来年、名刺に【介護福祉士】と記載できるようにすることです”
ちなみに、平成25年度に実施された「第26回介護福祉士国家試験」の合格者の年齢別割合は、61歳以上は2.5%でした。…頑張ります!