危機管理業務部 主任研究員
 和知 喜久雄

※「東日本大震災から学ぶ!(その2)」のつづき。
 「その2」は、2015年7月27日付の記事を参照ください。



 今回は、去る5月に「被災地現地研究」と銘打ち、休暇を利用して4年ぶりに石巻市の同じ場所と東北の一部を見てきた際の「現地で見てきたこと、感じてきたこと」についてご紹介したいと思います。
05-01
 あの凄まじい東日本大震災の激震地にようやく訪れることができるという期待と不安を胸に、自宅のある神奈川県藤沢市から約450kmの道程を経て、宮城県名取市に入りました。仙台南部道路を走行中、車内からは4年前に散乱していた瓦礫は見えませんでした。正直なところ、被災地の方々は本当によくここまで頑張ってこられたと思いました。

 松島に入ると、連休で観光客も沢山来ていましたので、被災地という気持ちも薄らいできましたが、石巻市に入り女川街道を走る頃から雰囲気が変わってきました。
 石巻市三和町あたりから道路には亀裂が残っており、新築の民家がある一方で更地の広場も至る所にありました。「4年が経っているのに、まだこんな状態なのか」というのが正直な実感でした。

 松島付近ではレストランやお店も沢山あったので、昼食はもう少し走ってから摂ろうと思っていましたが、これが間違いでした。海岸に近い所は、やはり被災地です。更地や盛り土で整備中の所がだんだんと多くなり、レストランや食堂はすっかり見かけなくなったのです。
05-02
< 海岸付近は更地や盛り土で整備中の所ばかり >

 ようやく見つけたコンビニでも、おにぎりやお弁当は少ししか残っていませんでした。遅い昼食とはいえこれだけ数が少なくなっているのは、被災地で働く人や被災地の方が利用しているのであって、何だか観光に来た私達が利用するのは心苦しい気がしました。それでも、他にお店はないし、「お店を利用することはきっと(現地の)復興の役に立つはずだ」と気持ちを切り替え、おにぎりを買って戴くことにしました。夫婦二人で改めて「ここは被災地なのだ」ということを痛感した次第です。

 女川から海岸通りを南三陸町、陸前高田と進んでいくうちに、大きなトラックが目に付くようになりました。海岸に近い山では地面が剥き出しの所が散見されるようになってきたので、きっとそこから盛り土用の土が運び出され、そのトラックが被災地を往復しているのだと思いました。それにしても、相当な数のトラックでした。
05-03
< 大型トラックが行き交い復興の勢いを感じさせる >

 山に入ると、整地されている所は、被災した方の新たな住居地になる所と、現に仮設住宅が建っている所でした。二度と津波で被災させないということから高台に設けられているのでしょうが、「こんな山の中に…」と思うような所にもありました。仮設住宅に住む方のご苦労が少しだけ解った気がしました。よく「聞くと見るとでは大違い」と言いますが、やはり現地に行かないと被災地の方の御苦労は解らないと思いました。

 次回も、「現地で見てきたこと、感じてきたこと」についてご紹介します。