危機管理業務部 主任研究員
和知 喜久雄
※「東日本大震災から学ぶ!(その3)」のつづき。
「その3」は、2015年8月3日付の記事を参照ください。
今回も、去る5月に「被災地現地研究」と銘打ち、休暇を利用して4年ぶりに石巻市の同じ場所と東北の一部を見てきた際の「現地で見てきたこと、感じてきたこと」についての続きをご紹介します。
自宅のある神奈川県藤沢市から車で行ったのですが、車内で聞いていたラジオ放送も関東とは違っていました。
宮城県に入ってからはローカル放送でしたが、被災地の交通情報や被災された方のその後の状況、被災地の復興に関するニュースなど、関東ではここ最近聞かなくなった被災地の情報が多く放送されていました。この点も、被災地ならではのことと感じましたが、私達(被災地以外で暮らす者)も「被災地のことは、喉元過ぎても決して忘れてはいけない」と思いました。
最後に、岩手県大船渡のホテルに宿泊した時の出来事です。
このホテルは前日に予約を取ったのですが、この連休に良く取れたものだと喜んでいました。しかし、ホテルに着いて驚きました。海から近いとはわかっていましたが、ホテルの周りはみな盛り土ばかりで被災地のど真ん中にあったのです。
ホテルは5階建てで、震災時は3階まで津波に飲まれてしまったそうですが、7か月後には復旧したという現地では復興のシンボル的存在でした。
ホテルの窓から見た景色に圧倒され、「もしもの時はどうしたらいいのか」とやや戸惑いを覚えるほどでした。今にして思えば、「被災地で泊まるという心境」がそうさせたのだと思います。

< 津波によってほとんど流されてしまったホテル周辺 >
その影響なのか、長距離運転してきた疲れが出たのか、その晩は早々に眠ってしまったのですが、夜中にホテルのどこからか機械音のような音が聞こえてきて目が覚めました。何の音なのか判りませんでしたが、その時にふと「ここは多くの被災者の方が亡くなった所ではないか、被災者の方が大変苦しい思いをしたところである」ということを思い出しました。そう思うと急に怖くなり、それ以降すっかり眠れなくなりました。家内も同じ心境だったようです。これも、被災地に泊まっているという心境がそう思わせたのだと思います。我ながら恥ずかしく、失礼な話であったと反省しております…。
なお、誤解のないように言っておきますが、ホテルには全く何の問題もありません(笑)。むしろ、良い部屋を用意していただいたことに感謝しています。
後日、この旅を通じて夫婦で話したのは、「被災地に行く際には、被災当時のことをもっと様々な角度から事前に調べた(勉強した)うえで被災地に入ればよかった」ということです。至極もっともなことですが、思い立ったまま旅に出たことを反省しました。
今回宿泊したホテルのことも帰宅してから調べてみて初めて分かったのですが、ホテルが被災した当時は惨憺たる様相を呈していたようです。その(当時の)苦しみから立ち直るために、そして再起をかけるために社員を一時解雇し、再び全員を雇用し直したということでした。事前に調べておき、ホテルに行く前にこの事を知っていれば、つまらない(情けない)一夜を過ごすことなく、安眠することができたはずです。むしろ、夫婦で復興の軌跡を辿る旅の締めくくりとなる素晴らしい夜を過ごせたであろうと思いました。
以上、様々ご紹介して参りましたが、総じて、今回の被災地現地研究の旅において、自分自身で見て・感じたことは、以下のとおりです。
�。圍崚�のメディアを通じて見た・聞いたものと、現地に行って実際に見た・聞いたものでは大きな違いがあること。
��津波の凄さ、恐ろしさを立体的に生で実感できたこと。
��「復興」には、ものすごく時間がかかるということ。
�と鏈卉呂里海箸髻�被災地以外ではあまり関心がなくなっているのではないかと感じたこと。
(※当の私自身が一番痛切に感じ、猛省しております。)
�ソ侏茲譴弌�多くの人達にどんな形でもいいので、被災地を激励(支援)してほしいという思いが募ったこと。
まだまだ表現できないことが沢山ありますが、被災地では今も多くの方が一生懸命に復興のために汗を流して頑張っておられます。
未だ一度も被災地を訪れていない方には、是非一度機会を作って被災地を訪れていただき、現状を実際に自分自身の目で見、耳で聞くなど肌(五感)で感じてもらうとともに、被災者あるいは被災者のために頑張る皆様を少しでも元気づけ、勇気づけてあげられるよう、何かしら今自分にできる取り組み等を実践していっていただければと切に願ってやみません。

< 被災したままの状態で残っている団地 >

< 嵩上げ工事中の堤防(当時の津波の大きさを窺い知れる) >