危機管理業務部 主任研究員
福島 聡明
稲盛和夫氏の「生き方」という本の中で印象に残る話をご紹介させていただきます。
この本はこれまでに何回も繰り返し読んでいますが、その度に何かしらの示唆を得ることができ、単純に言えば、読む度に「正しく生きよう!」と思い直すことができる、私にとってはとても貴重な本の一冊です。ただ、凡人である自分は、次の瞬間にはその気持ちを忘れてしまうことが多いのですが…。
今回、ご紹介するのは、稲盛氏が松下幸之助氏の講演の中で、ダム式経営について聴講し「まず心に思うこと」の重要性に気付いたというエピソードについてです。
ダム式経営とは、川にダムがあれば水量を調整できるように、経営も景気の良い時にこそ景気の悪い時に備えて蓄えをしておく、そういう余裕のある経営をするべきであるという意味だそうですが、その講演会における多くの聴衆の反応は、「では、その具体的なやり方はどうすればいいのか、そのやり方が分からないから苦労している。」というものだったそうです。
その中で稲盛氏は「ダムを作る方法は人それぞれだから、こうしろと一律に教えられるものではない。しかし、まずダムを造りたいと思わなくてはならない。その思いが全ての始まりなのだ。」と気付かされ、大変感銘を受けたそうです。
話が大きくなりましたが、これは「防災や災害に対する意識や関心」にも通じる話だと思います。
皆さんは自分自身を振り返り、防災や災害に対する意識や関心は高い方だとお思いでしょうか?具体的には、家に災害用として7日分(最低でも3日分)の水と食料は備蓄されていますか? 家具、特にリビングのテレビや寝室のタンス類の固定はきちんとされているでしょうか? 地震発生の際には電話やメールも繋がりにくくなりますが、家族で災害用伝言ダイヤル171等の使い方について話し合ったことがありますか?
内閣府が平成25年12月に5,000人を対象に実施した調査では、食料・飲料水の備えを行っている方は46.6%、家具の転倒防止を行っている方は40.7%、家族や親族との連絡方法を話し合ったことがある方は56.0%だそうです。
振り返って自分の防災意識はと言えば、水・食料の備蓄は3日分、家具の固定は一応やるにはやっていますが本当に大丈夫かという自信は低く、連絡方法は東日本大震災の際に災害用伝言ダイヤルの使い方を一度試しただけであり平均値よりはぐっと低い、要するに最低レベルと言わざるを得ない状態であることを痛感した次第です。
一部の調査によれば、平均的な住民の防災・危機管理意識は「いざという時は誰か(行政)が何とかしてくれる」「まあ何とかなる」というものだそうで、この点については、私も「平均」なのかもしれません。
では、自分自身や家族にも関わるとても大事なことなのに、なぜ考えないのか?
それは、大規模地震が発生して、家屋が倒壊したり火災が起きたりライフラインが止まってしまうことで、今の生活が一時的にでもできなくなる、あるいは生活が変わってしまうことが「恐ろしい」からに他ならないからだと思います。考えるのも恐ろしい、考えても仕方がない(いつ起こるか分からないから現実味がない)、考えない方が良い(考えたくもない)。だから、考えないし手も打たない、という思考になるのではないのでしょうか。
人は、とかく自分にとって都合の悪い事は考えないように(本能的に)してしまうのだと思います。かく言う私も、防災・危機管理コンサルティングという一般の人よりは災害に携わる機会の多い仕事に就いていますが、それでも、一個人としてはやはり災害は恐ろしい。正直、現実を直視して考えることは恐ろしいと感じているのが本音です。
国、地方自治体、地域、そして家庭、家族、個人のレベルで規模に大きな差はありますが、まずは現状を直視し(現実を受け止め)、何が起こるかを予想し、それに対して(事前に)どのような手が打てるかを考える、という点については、ご紹介したダム式経営の「まず心に思うこと」に共通していると思います。
東日本大震災を機に、防災・危機管理に対する意識や関心は大きく変わりました。その結果、南海トラフ地震の被害想定は大きく変更され、死者は32万人とされています。この数字は、人々を怯えさせ、そんな起こり得るかもしれない現実から逃げ出したい気持ちにするに十二分であり、私自身もどうすればいいのか正直言って不安な面も多々ありますが、まずは「何とかしなければならない」と思うことが必要であり、その思いがきっと全ての対策(備え)の始まりになるのだと思います。

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