危機管理業務部 主任研究員
 大木 健司

 前回に引き続き、震災の遺構を紹介します。

【石巻市(大川小学校)】
 大川小学校は、海から内陸側へ3.8km入った北上川の右岸にあります。
 大川小学校付近への津波の到達は、地震発生後51分後のことでしたが、津波により、児童と教職員合わせて84名が犠牲になりました。
 「なぜ、津波到達まで50分もあったのに逃げ遅れたのか。」、「なぜ、山側に逃げず、川側に逃げたのか。」を、今も問われ続けている被災現場です。
 私は、ここを2019年6月に訪れましたが、その時は犠牲となった児童の父親が語り部として、研修に来た高校生の団体に被災状況等を説明していました。
 その説明を小耳に挟みながら、避難に適した地域と経路などを考えていましたが、「何ですぐに学校の裏山に避難しなかったのか?」という疑問が残りました。
 大川小学校には裏山があり、その裏山は児童達が椎茸栽培を行ったりする体験学習の場になっていたそうで傾斜は約9度です。
 教職員が避難開始を指示したのは津波襲来の1分前で、避難場所は山側ではなく北上川右岸の通称「三角地帯」でした。山側への避難は選択されませんでしたが、山側への避難を訴えていた児童や教職員もいたそうです。
 先頭の児童が避難開始から津波に襲われるまでの移動距離は僅か150m、小学校を襲った津波の高さは8.6mで、2階の教室の天井にまで達したそうです。
 大川小学校跡に作られた石巻市震災遺構大川小学校は、犠牲者の慰霊・追悼の場とするとともに、震災被害の事実や学校における事前防災と避難の重要性を伝えていくことを目的に整備され、2021年7月から一般公開されています。
 石巻市震災遺構大川小学校は、JR石巻駅から車で約45分ぐらいです。
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【小学校の裏山へ続く小径(2019年6月撮影)】


【当時の状況を解説したパネル】
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【女川町(旧女川交番)】
 東日本大震災を後世に伝える遺構として宮城県女川町が保存する旧女川交番の一般公開が2020年2月から始まりました。
 私が、ここを訪れたのは、2019年の6月ですので、まだ震災遺構として整備される以前で、現在、震災遺構として公開されている姿とは異なります。
津波により海中に没した旧女川交番は、コンクリート造2階建てであり、引き波により基礎部分の杭が引き抜かれ、現在の位置に横倒しになったものと考えられています。鉄筋コンクリート造の建物が津波で転倒したのは日本で初めての事例だそうで、津波の恐ろしさを伝えています。震災遺構 旧女川交番は、JR石巻線女川駅前商店街を抜けたメモリアルゾーンにあり、駅から徒歩約3分です。
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【横倒しになった旧女川交番(2019年6月撮影)】

【気仙沼市(東日本大震災遺構・伝承館)】
 東日本大震災は、気仙沼市に死者1,143人(震災関連死を含む。)、行方不明者212人に上る最大級の悲劇をもたらしました。
 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、津波被害を受けた向洋高校跡に整備され、将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え、警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し、気仙沼市が目指す「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的に、2019年3月から一般公開されています。
 当時、向洋高校には生徒・教師・工事関係者など、約250名がいたそうです。校舎は海から約150m、海抜は1m位の立地条件下で13mを超す大津波に襲われながら、臨機応変な迅速避難で誰一人犠牲にならなかったということです。
 東日本大震災遺構・伝承館は、気仙沼駅からBRTでJR陸前階上駅へ。駅から徒歩で約20分です。
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【校舎3階に流れ着いた車(2021年4月撮影)】【屋根が無くなった体育館(2021年4月撮影)】

  【気仙沼市(早馬神社)】
 気仙沼市唐桑町の早馬神社に参拝した時に偶然、この石碑に遭遇しました。震災遺構とは異なりますが、津波の教訓を後世に伝える貴重な石碑です。
 東日本大震災では、海抜12mの高台に位置する早馬神社にも15mの大津波が来襲し、拝殿、社務所、宮司宅が約2.5m浸水、流失は免れたものの全ての道具を粉砕し、修復に1年を要したそうです。
 唐桑町の宿浦地区の沿岸では、この神社のみが残ったそうです。
 JR気仙沼駅から早馬神社まで、車で約20分ぐらいです。
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