危機管理業務部 主任研究員
 三宅 丈也


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 昨年の大河ドラマは幾多の苦難の末に江戸幕府を造った徳川家康の話でしたが、皆さんはご覧になったでしょうか。残念ながら私は視聴する機会を得なかったのですが「どうする?」と悩みつつも大きな壁を何度も乗り越えてきた家康を描いたものであり、最新の研究成果も反映されていたためか、概して専門家の評価は良かった様です。
 「歴史にif(もしも)は無い」とよく云われますが敢えて言わせて頂きますと、ある「天災」が歴史を変えた、つまりもしかすれば家康と徳川軍は秀吉に滅ぼされてしまって、その後の江戸幕府も存在し得なかった可能性があったのです。
これは大河ドラマでも描かれていたようです。

 その「天災」とは、続・先人の教え 悵賁襪脳辰┻遒辰疹襪半覯篠』(2023年10月23日)におきまして『・・・時は江戸時代が始まる前、本能寺に倒れた織田信長に続いて豊臣秀吉が天下の覇権を徳川家康と争っていた安土桃山時代の話です。天正地震(1586年)と云われる活断層に起因する地震が突如として北陸地方一帯を襲いました。当時、豊臣方の上杉景勝と佐々成政の争いが起きており、白川郷にあった帰雲城三代目の城主であった内嶋(うちがしま) 氏理(うじまさ)は、佐々成政側に味方しましたが武運拙く全面降伏となりました。彼は命を助けられ領地も安堵され、久々に城に戻り、領主の無事な姿に歓喜する領民も交えての祝賀会を準備した前夜午後10時過ぎに天正地震が襲ってきたのです。・・・』と紹介した「天正地震」のことです。
 天正地震は、1586年1月18日(旧暦天正十三年11月29日)の夜、東海・北陸地方から近畿地方にかけての広範囲に発生した地震です。複数の活断層が連動して発生したもので最大級の内陸直下型地震と云われています。激しい揺れと津波(若狭湾)はこれらの地域を中心に甚大な被害を起こしました。
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 小牧・長久手の戦い(1584年)において戦闘・戦術で勝利した家康と外交・戦略で勝った秀吉との決着は未だ着かないまま時は経ち、その最終決戦の日(豊臣方の攻撃計画によると(旧暦)天正十四年1月15日侵攻開始予定)のおよそ1月半前に天正地震が発生しました。このため、揺れが大きかった豊臣方の前線基地である城や兵糧などは悉(ことごと)く使用できなくなったのに対し、徳川方の三河は震源地から比較的離れていたため、その被害は軽微なもので済みました。これによって、秀吉による家康成敗の戦は幻となってしまいました。一転、秀吉は得意の外交戦に変じて妹の旭姫を三河へ下すことによって家康を上洛させる(秀吉への臣下の礼を意味)ことに成功し、結果、天下の諸大名もこれに倣い豊臣秀吉に平伏すことになりました。
 このあたりについて以下詳述されていますので引用します。
 “この地震の2か月後に、秀吉の大軍は徳川家康の軍に総攻撃をしかける手筈になっていた。秀吉軍の勢力は約10万、家康軍は約4万といわれるから、家康の方に勝ち目はない。ところが、大地震によって、家康討伐のための前線基地になっていた長浜城や長島城が倒壊し、兵糧米を備蓄していた大垣城も倒壊、焼失した。この事態に直面して、秀吉は家康討伐を諦めざるをえなかったのである。したがって、もし天正の大地震が発生していなければ、家康は滅ぼされ、徳川幕府が権勢を振るった江戸時代は存在しなかったことになろう。”
(引用;近代消防社 伊藤和明著「災害探訪 内陸直下型地震編」)

 この時代、水不足や冷害等による大飢饉のほか、大風、地震や火山噴火などの天災が発生すると、その責任を取って(取らされて)政権トップ(幕府であれば老中、藩であれば家老など)がよく交代させられました。これは、政治が悪いから天が怒って災害が起きるものと広く信じられていたためと考えられますが、あくまで幕府(将軍)や藩(主)が倒されてしまうまではありませんでした。まさにトカゲのしっぽ切りですね。ですが、天災が政権に及ぼす影響は大きいものでした。
天下の権が、優勢な豊臣のものへすんなりと収まるのか、逆に徳川のものになるのか(可能性はとても低かったでしょうが・・・)、というときに突然発生した天正地震は、そのタイミング(時期)、場所、規模(相互の被害差)などのすべてが、発災当時、秀吉絶対有利に傾いていた天秤を平衡に近い状態まで揺り戻し、その後は結果として徳川の方に天秤を傾けさせた、まさに、日本の歴史を左右した「天災」だったと云えるのかもしれません。
 もしも(if)、天正地震という「天災」が起きなければ、秀吉の大軍の前に徳川軍は最終的には敗れ去り、最悪の場合は降伏も認められず滅ぼされていた可能性もあり、徳川家にとって最大の危機であったものと考えられます。当然の様に、後の江戸幕府は成立していなかったことでしょう。

 幾たびも「どうする?」と悩みつつも家康は自身や家臣、味方の働きによって数多の苦難を辛くも乗り越えてきましたが、秀吉による最終決戦(未実行)だけは、「どうする?」といくら悩んでも結論は出ず、家康自らや家臣、味方のすべてが「どうしようもなかった」ことでしょう。
 まさに当時の家康たちの心境は「人事を尽くして天命を待つ」ほか、術が無かったのかもしれません。そして、その願いは叶って天命である?「天災」、天正地震が発生したことによって家康の最大危機は去り、江戸幕府が成立、そして現在の日本へと続くのです。
 そういう意味では、天正地震という「天災」が、歴史を変えて江戸幕府を創ったと云えるのかもしれません。