危機管理業務部 主任研究員
三宅 丈也
ローマ皇帝ネロと聞いて、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。そう、暴君ネロですね。しかし、もしかすれば名君だった可能性があるのです。
ネロは、10代半ばで第５代ローマ皇帝（紀元37〜68）となりましたが、その生涯において実の母や妻を殺したとされます。また、後に記しますが大火事を自らが起こした上、それをキリスト教徒のせいにして弾圧したと悪評ふんぷんです。更には、大火事の後に贅沢な黄金宮殿を建て民衆の苦難を顧みず飽食に過ごした・・・、まさに暴君ネロの面目躍如ですね。でも待ってください。歴史は勝者のもの、とも云われます。もしかすれば、その実像は違っていたのかもしれません。その場合、皇帝に対しての勝者とは？元老院なのです。実は皇帝ネロは皇帝を補佐すべき元老院の怒りを買ってしまいました。その若さだけではなく革新的な姿勢、芸術を愛する気持ちなど、皇帝にあるまじき者として反発を買ってしまったのです。
当時、ローマでは火災が頻発していました。特に、紀元64年の大火事は町のおよそ２／３が焼け落ちるという大きなものでした。後世の歴史家が皇帝ネロが火を放ったと書き残したため、更に暴君のイメージを高めてしまいましたが、事実は・・・
“出火当時、ネロは夏の暑さを避けて、ローマから五十キロ南にある海岸の町アンツィオの別荘に滞在中だった。ローマでの火災は、その翌日に知った。知るやネロは、二頭の馬に引かせた馬車を駆って、アッピア街道を北上し首都に入った。エスクィリーノの丘にある別宅は無事だったが、そこに落ちつくことなど、二十六歳の皇帝は考えなかった。被災者対策の陣頭指揮をとったのである。ネロの口からは次々と命令が発せられ、それは敏速に実行された。延焼をまぬがれた地区の中でも最も都心に近いマルス広場を埋める公共建造物のすべては、被災者たちを収容するために開放された。” （引用；新潮文庫(2005)塩野七生著「ローマ人の物語 悪名高い皇帝たち[四]20）
その後、ネロは火事に強い町づくりに取り組みました。具体的には、黄金宮殿を建てましたが、それはライバル国などからの使節を驚かせる仕組みを施しており、ローマ帝国の威信を高める狙いが随所に工夫されていたとともに、そこにあった巨大な湖は防火用の貯水池でもあったのです。また、宮殿建築の技術者によって、かつては木造の梁で作られていた集合住宅から石組みの梁の建物へ建て替えたり、これまでは狭い道が走っていましたが、防火帯を作るなど火事に強い町づくりをしました。ただ単に贅沢に走っていただけではないのですね。
しかし、元老院の怒りを買ってしまったため、これら防災・防火などの施策も正当に評価をされることなく、無視され、あるいは必要以上に捻じ曲げられた上に、後世の歴史家の記述などによって「暴君」と評価が定まってしまいました。確かに残虐非道な面はありましたが、少なくとも民衆に対する姿勢、特に大火事から民衆を守ろうとした姿勢・行動は真摯なものであり評価されるべきことと考えられます。一方、歴史上、聖帝とか大帝とも呼ばれる皇帝コンスタンティヌスですが、彼も実は多くの肉親を殺しています。
あの有名なポンペイの発掘跡からは多くの落書きが見つかっていますがネロの事を好意的に書いているものが多く見つかっており、少なくとも一般市民レベルに寄り添った政治を行っていたネロは絶大な人気があったのは間違いないでしょう。
歴史の評価とは何が正しいのでしょうか。少し疑問ですね。
その後、ネロの痕跡を消し去るかの様に、この貯水湖を含む黄金宮殿は埋められてしまいました。広大な池も埋め立てられ、世界遺産にもなった有名なコロッセオが建てられたのです。
話が逸れてしまいますが、このコロッセオは、建造から凡そ２０００年を経ても当時のローマンコンクリートが頑丈なためにその姿を残しています。通常、コンクリートの寿命はおよそ１００年と云われていますが、どうしてでしょうか。最近の研究によりますと、当時のローマンコンクリートには、ローマ近郊にあった火山の灰が混入されており、再生機能効果があるために頑丈なのだそうです。
脱線ついでにもう一つ、この時代には既にクレーンが存在し大きな石を持ち上げていました。勿論、動力は電気とか油圧などではなく、人力ですが、てこの原理を使って、水道橋やコロッセオの石組みなどが組み立てられていたのです。
以上、見てきたように従来の歴史的評価である「暴君ネロ」は、少なくとも防災・防火という観点から、当時のローマ民衆にとっては「暴君」などではなく「名君」であったのかもしれません。
この先、歴史の評価が覆ることを願ってやみません。
